死に神がやってきても小説の1~2行を書く

今仕事をしている人が65歳で定年したら、今の私の年齢までは19年ありますね。これだけあったら結構なことができます。そこで何を考えるか。過去に執着しないで、未来に向かって高齢になった自分の人生の設計を本気で考えてみたら、未経験の19年ですから、興味津々になれるんじゃないでしょうか。

今年の4月ごろ、要介護5に認定される少し前、私は老人ホームへ入ろうかなと考えていました。そのほうが私自身も安全安心な環境で、仕事ができるかなと。また、妻や次男夫婦への負担も、軽くしなければという思いも強くありました。だから、その2つの思いを実現するために、まず第1弾として、自宅から車で10分くらいのところにある介護付き有料老人ホームに、1週間の予定で体験入居をしたのです。

その3日目だったかな、たまたま3カ月に1度の定期検査がありまして、施設側が用意してくれたリフト付きの車で病院に行きました。検査を受けたところ、いろいろな数値が芳しくなくて、そこから16日間の入院となってしまった。

入院期間中は、検査検査の毎日で、体力も消耗したのでしょう。要介護5の認定を受けたのは体験入居の前ですが、退院後は老人ホームではなく、自宅に戻りました。不思議なもので、要介護4のころは、どこかに遠慮があったのです。妻や息子たちに対する遠慮ですね。でも、今は、私自身、少し意識が変わってきているようです。

この状況を受け入れて、やれることはすべてやってみようと思えるようになった。今では、要介護5で受けられるだけの介護サービスをフルに使って、自宅で生活しています。

朝の着替えや、ベッドから車椅子の移乗などは、毎日ヘルパーさんに手伝ってもらっています。看護師さんによる1週間に2度の訪問看護、月に2回の医師による訪問診療などなど、ケアマネジャーさんも親身になってケアプランを作ってくれました。今はほぼ私の理想通りの介護ネットワークができたと思っています。

そうした環境があるからこそ、作品を描き続けることができています。自分の時間があとどのくらい残っているのか、わかりません。明日かもしれないし、5、6年先かもしれない。それはそれでいいわけです。

例えば死に神みたいな者がやってきて、明日でおまえの人生は終わりだよ、それが天の定めだよ、みたいなことを言っても、冗談だろうと受け流しながら、でもどこかで、そんなものかもしれないなと思うかもしれない。それでも、今やっている長編小説の1行でも2行でも書くでしょうね。そこまで継続してやってきたものなのだから、最期の一日であっても、継続するのが当然です。

完成には程遠くても、そこまでしっかりやってきたんだから、それでいいんだと、受け入れる。それが私の最期の納得じゃないでしょうか。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月16日号)の一部を再編集したものです。

(構成=末並俊司)
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