全788ページ、厚さ約5センチの分厚い勉強本『独学大全』。著者の読書猿氏はかつて集中して本を読むのが苦手だったという。そんな飽きっぽさを自覚する者が、研究を重ねてたどりついた「勉強習慣を続ける極意」を明かす。
『独学大全』著/読書猿
『独学大全』著/読書猿

独学は文化として脈々と受け継がれてきた

はたして今の世は独学ブームなのか。コロナ禍の環境で勉強に励む人が増えて、4年前に発売した『独学大全』は今もコンスタントに売れています。しかし、私は独学がブームだとは思っていません。独学は地下水脈のように昔から脈々と続く流れがあり、近年、井戸を掘ったらたまたまそこに突き当たり、水が噴き出したような印象を持っています。

独学は、江戸時代にはすでにありました。字を読める人が全国各地にいて、本を読む文化があったのです。庄屋さんくらいの身分になると、本を買い集めて周囲に貸し出すような人も多くいました。また、伊勢参りなどに行く人がいると、京都へ寄って本を買ってきてほしいと、近隣の村から依頼が来ることも珍しくありませんでした。当時、民間の教育機関だった寺子屋は全国に4万カ所もあったといわれており、その下地には独学する文化があったわけです。

独学は、その名の通り独りで学ぶものではありますが、その姿勢は周囲に有形無形の影響を与えていて、時にはその人が属している組織全体を変えることもあります。そのようにして独学は、文化として脈々と流れているものだと捉えています。

「独学はどのようにして始めればいいのでしょうか?」という質問を受けることがあります。かつて、「オタクというのは始めるものじゃない、気づいたらなっているものだ」という言葉を聞いたことがありますが、独学も同じです。何かわからないことがあって「知りたい」と思ったとき、すでに独学は始まっているのです。

独学を始めることに躊躇したり、「独学はどうすればうまくいきますか?」と聞いてくる人の多くは、おそらく独学で失敗したくないからだと思います。しかし、独学というのは失敗したらやめてもいいし、また学びたくなったら始めればいいだけのことです。失敗したら二度と学べない、ということはありません。何度途中で挫折しても、いつでも好きなときに戻ることができるのが、独学のよいところです。

なぜ記録を取るだけで行動が改善するのか

忙しい現代人にとって、独学を続けることは容易ではありません。それはほとんど不可能といってもいいくらいです。そこで、勉強や読書を続けるために、必須ともいえる技法を2つ紹介します。

まず、「学んだり読書をしたりする時間が取れない」という人におすすめしたいのが「行動記録表」を付けることです。

【図表】行動の解像度を高める「行動記録表」

時間は誰しも平等に1日24時間しかありません。時間を増やしたり蓄えたりすることはできませんから、学ぶ時間を確保するには、限られた時間をどう配分するかを工夫するしかありません。闇雲に勉強や読書を頑張ろうと思っても空回りするだけなので、まずは実際に自分がどのように時間を使っているかを把握することが大切です。そのうえで、やらなくていいことや優先順位の低いことをやめて、やるべきことに時間を割り当てることが必要になります。そのために付けるのが行動記録表です。

行動記録表の付け方は次のようになります。まず「未来の予定を書く」。そして、「実際の行動を記録する」。最後に「予定と実際の行動の記録を比較する」のです。

行動記録表は自分がいつ何をしたかを記録するだけのシンプルなものですが、自分の行動が可視化されるため、時間の使い方を振り返り、反省することができます。それだけでなく、行動を記録すること自体に、自分にとって望ましい行動を増やし、望ましくない行動を減らす効果があります。読書の時間を増やしたい人の場合、「○時○分~○時○分 読書」と記録していくと、その行為に意識的になることで、次第に本を読む時間が増えていきます。逆に、スマホを見ることをよくないと思っている人であれば、その日にスマホをどれだけ見たかを記録するだけで、スマホを見る時間が減っていきます。急激に変わることはありませんが、少しずつ増えたり減ったりしていくマイルドな効果があります。

これは、一時期流行したレコーディングダイエットと同じ理屈です。行動を記録することで、「こうありたい」という自分の理想と現実の間にギャップ(認知的不協和)が生じます。その不快感を解消したいという思いが、行動を改善させるモチベーションになります。また、記録を取ることでひとつひとつの行動を意識するため、控えたい行動のきっかけを抑制し、習慣化したい行動のきっかけを促進します。

行動記録表は、もともと心理療法の一種である行動療法で1950年代から用いられてきた技法です。うつなどの症状がある人は、自分についての認知が雑になり、自分は全く何もしていないか、あるいは行動的か、0か100かの極端な見方をする傾向があります。そこで、自分についての解像度を高めることが一つの治療法として用いられてきました。