謹慎で気付いたコミュニケーションの重要性

履正社の後半には、すべてのクラブ活動の統括責任者を任される立場になった。保護者からクレームが入れば、校長のところに話がいく前に、責任者である岡田監督が話を聞きに行く。剣道部の保護者からは、こんな話を聞いたという。

「剣道では指導者が1対1で稽古をつける練習があるようで、『別の子は5分間指導をしてもらったのに、うちの子は1分で終わっていた』という相談がありました。『いやいや、お父さん、教える内容によって、指導の時間は変わってきますよ。ぼくが見ている野球でも……』と話をさせてもらいましたが、結局、『うちの子は見てもらえていない』というのが親にとっては一番不満が溜まることがよくわかりました」

だからこそ、積極的にコミュニケーションを取り、対話をして、現状の様子を伝える。謹慎処分を受ける前は、グラウンドで選手たちを鍛え上げることを第一に考えていたが、それだけでは監督としての指導が足りないことに気付かされた。

さらに、積極的に保護者の力を借りるようにもなった。自宅からの通いだからこそ、親と子の関わりが多い。そこをプラスに考えた。

「親御さんに参加意識を持ってもらおうと思いました。子どもの体を作るには、家庭での食事が一番重要で、我が子の体が大きくなっていけば、お母さんも嬉しいものですよね。お茶当番とかは必要ないので、『お子さんをしっかり見てください。食事のことはお願いします!』という話を、保護者会でもするようになりました。自分の子どものことなので、それはもう一生懸命に愛情を注いでくれます」

管理栄養士による栄養講習会を開き、筋肉量を増やすにはどんな食事が必要かなど、基礎知識を学べる場を設けた。さらに、栄養調査にも力を入れ、個人個人の食事内容を分析して、必要な栄養素などがわかるようにした。

謹慎になって良かった

――もし、不祥事が明るみに出なければ、岡田監督の指導法は変わらなかったですか?

大利実『甲子園優勝監督の失敗学』(KADOKAWA)

「たぶん変わっていないですね。謹慎処分を受けたからこそ、今までの自分を変えようと思ったのは事実です。だから、あとになってから言えることですけど、『謹慎になって良かったな』と思います。ただ、そのあと、2012年に桜宮高校のバスケットボール部で起きた体罰が大きな社会ニュースになりましたよね。遅かれ、早かれ、そのときには今のままの指導ではいけないと、さすがに気付いたと思います」

トップダウンのスパルタ式指導を変えることへの葛藤はなかったのだろうか。

「勇気は要りました。でも、次にどついたら、監督として終わりですから。できない環境に置かれたからこそ、変わることができたのだと思います」

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