自分を変えた「監督と親」の二者面談
謹慎処分は、2001年の8月から年明けまでの6カ月。高野連からは、「岡田先生、次はあかんで」と警告を受けていた。次にまた同じことをすれば、もうグラウンドに戻ることはできない。それは、自分自身でも十分に理解していた。
今までの指導を変えなければいけない。では、どうすればいいか――。
「選手とも親とも、積極的に会話をして、コミュニケーションを増やす。それしか考えつきませんでした。投書をした保護者が誰なのか未だにわかっていませんが、おそらくは、試合に使ってもらえないことで、何かしらの不満があったのだと思います。たとえばですけど、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんが見に来た練習試合で、我が子が起用されないとなったときに、『うちのはまだ力不足やな』と思う人もいれば、『何で? うちの子はやればできるのに、監督は何を考えているんや!』と思う人もいるわけです。どう思われるかはそれぞれの考えがあって当然なので、大事なのは、こちらがちゃんと説明をすること。『お子さんは今こんな練習を頑張っていて、こういう状況なんですよ』と伝えることができれば、親からそんなに大きな不満は出てこない。そんなことを考えるようになりました」
履正社は大阪の強豪にしては珍しく、寮を持っていない。練習が終われば、自宅に帰り、夕飯を食べる。そのときに、親であれば、「今日の練習どうやった?」と聞きたくなるものだろう。元気のない姿を見れば、「どうした?」と気になるもの。監督から、「息子さんは頑張っていますよ」という言葉が少しでもあれば、心配な気持ちがありながらも、信頼して任せることができるはずだ。
現場に復帰後、しばらくしてから始めたのが、二者面談だった。「監督と選手」だけでなく、「監督と親」の面談を設け、現状とこれからについて、しっかりと話し合うようになった。
保護者は「わが子が放っておかれること」に不安を覚える
「最初は、三者面談を考えていたんですけど、当時の保護者会長から『子どもがいないほうが、監督とじっくり話ができる』という要望があって、二者面談にしました。ぼくからしたら、時間が倍かかることになるんですけど、自分が変わらなければいけないのはわかっていましたので」
それまで、選手と面談をすることはあっても、保護者と1対1で話す機会はほとんどなかった。保護者会長との相談の末、1、2年生とは全員面談をして、保護者については2年生の親を対象とすることになった(冬に実施)。この二者面談は、履正社を辞めるときまで続いた。
「保護者と話すようになってわかったことは、自分の子どものダメなところを言われても、悪い気にはならないんですよね。『監督はウチの子をちゃんと見てくれている。あかんところをわかってくれている』と。親にとっての不満は、我が子のことを放ったらかしにされて、見てもらえていないことです」