労働力不足という現実に対応するために技能実習制度を作りましたが、移民は受け入れないという形而上の思想に縛られて、無理やり「国際協力」という形而上の理念を打ち出しました。そうすると日本側の形而下的なホンネである「労働力確保」は達成できませんでした。実習生への非人道的対応も珍しくなく、制度そのものの見直しが議論されたのです。そこで今度は「労働力確保のための人材育成」を掲げたわけですが、移民は受け入れないという形而上の思想に縛られて、今回の制度改正も場当たり的な対症療法にしかなりませんでした。

ここではやはり、外国人・移民の受け入れに関する形而上的な信念・方針を明確にしておく必要があるのです。

かつてドイツのメルケル首相は、15年の難民危機の際、形而上の人道的見地から100万人規模の難民を受け入れました。一方、シンガポールのように、形而下的に「外国人=労働力補完」と明確にみなしてしまうと、外国人の単純労働者は妊娠したら即帰国というように形而上的には著しい人道違反をやらかしてしまいます。問題解決のためには、形而上と形而下のミックス思考が必要になるのです。

形而上的には、外国人労働者問題は、社会の一員として受け入れるか、労働力補完として受け入れるかの二者択一になるわけです。日本政府はいったいどちらを目指したいのでしょうか。

日本のルールに従うなら、同等のセーフティネットを提供する

実はアメリカでも同様の議論が起きています。バイデン大統領をはじめニューヨークやサンフランシスコの市長などリベラル派は、メキシコとの国境に壁を築いたトランプ前大統領を批判し、「移民に寛容であれ」と説きます。

でもこれは形而上的な理想論です。移民が押し寄せるという形而下の問題に悩む南部の州知事たちが、中南米からの亡命希望者を10万人規模で大量のバスに乗せ、ニューヨークやフロリダなど移民に寛容であるべきことを宣言する地域に送り込んだところ、やっぱり無理!と悲鳴が上がりました。形而上学的議論だけで、形而下の議論をおろそかにした結果です。

ちなみに僕の形而上の意見は、外国人労働者も「社会の一員」として受け入れるべきというものです。もちろんそれには一定のルールが必要ですし、ルールを作ったら厳格に適用しなくてはなりません。ルールによって形而下の課題に対応していくというのが、僕の考えです。

たとえば日本政府による難民認定には申請者が祖国で政治的に迫害されていることの証明が必要ですが、その人が祖国で「テロリスト認定」されているといった事実を誰がどう証明するのでしょうか。今回の入管法改正では難民申請に回数制限が加えられましたが、それなら同時に、迫害の証明を日本の在外公館が本人に代わって行うといった仕組みづくりも必要になるでしょう。そこまでやってはじめて、難民と証明できない人に国外退去を迫ることができるのだと思います。

また、きちんと日本のルールに従ってくれるなら、外国人労働者も日本社会の一員としてきちんと迎え入れるのが筋ではないでしょうか。一部右派には「外国人に年金や社会保険は不要だ!」と言う人もいますが、それはあまりに非人道的、かつ虫が良すぎます。

日本のルールに従って日本人と同様に税や社会保険料を納めるのなら、日本人と同等のセーフティネットを提供すべきです。外国人としてのルーツやアイデンティティを守ってあげながら、日本に暮らす以上はきちんと日本文化やマナーも学んでもらう。母語を交えた日本語教育や進学支援、生活サポートなども必要でしょう。

形而下の課題を解決するためには、形而上の大きな方針、理念、理想を掲げる必要がありますし、逆に形而上の思想だけを振り回すことは、課題解決には何の役にも立ちません。将来の日本社会はどうあるべきか、形而上・形而下の思考を融合することを、政治家の皆さんには強く望みます。

(構成=三浦愛美 撮影=的野弘路 写真=時事通信フォト)
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