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形而上の理念だけではなく形而下の現実にも目を向けよ

つい先日、子供たちと「形而上」「形而下」の議論で盛り上がりました。英国に住む小学生の姪が、「平和」について学校で学んでいる様子をLINEのやり取りで知った長女が「面白いよ」と教えてくれたのが議論の始まりです。姪の学校の授業では、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教それぞれの教義を学びつつ、平和とは何かを議論しているのだそうです。それ自体はとても素晴らしく、人名や年号をひたすら暗記させるだけの日本の教育にはないものだと感心しました。

ただ、こうした学びはどうしても形而上の議論だけに偏ってしまう危険もあるんじゃないか、と僕は指摘しました。「平和」や「信教の自由」「人権」といった理念を並べて議論するだけでは、やはり現実と乖離してしまうおそれがある。形而上的な議論が行き着いた先に、独善的な価値観から殺人に到ったオウム真理教のような悪い先例も世界にはたくさんあるのです。