25年にわたって都知事選から逃げ続けてきた

やや古い話にお付き合いいただきたい。

民主党がかつての新進党勢力の大半を迎え入れ野党第1党になったのは1998年。翌99年の都知事選に、副代表の鳩山邦夫氏が、同党を離党して出馬した。邦夫氏は無所属になったものの、民主党には選挙対策本部が設置され、羽田孜幹事長が本部長を務めた。党を挙げての選挙だった。邦夫氏はこの選挙で石原慎太郎氏に、ダブルスコアの差で敗れ初当選を許した。

その後の民主党は、お世辞にもまともに都知事選を戦ってきたとは言えなかった。知名度はあるが、端から見たら「良い戦いになる」ことすら想定しにくい候補を後方から支援するだけで、自らは選挙戦の矢面に立たない。敗戦の責任もうやむやだ。そんな選挙が21世紀に入ってから、四半世紀近く続いてきた。

「25年前のツケ」が今になって回ってきた

確かに都知事選は難しい。有権者の数がべらぼうに多く、無党派層の比率も高い。鳩山氏が敗北した一つ前の1995年の都知事選では、完全無党派の放送作家、青島幸男氏が、街頭での選挙運動を一切行わなかったにもかかわらず、与野党相乗りで出馬した元官房副長官の石原信雄氏に圧勝し、既存の政党に衝撃を与えた(まだ民主党は存在していなかったが)。

国政選挙での政権交代に傾注していた民主党が、難しい都知事選にリソースを割かなかったのは無理もない面はあった。だが、この時期に民主党が、それなりの組織を持ち都内の有権者に根を張っていた自民党や公明党に対峙できる地方組織や議員を育てる準備を十分に行わなかった、つまり「地力」をつけなかったことが、都知事選を「旧民主党勢力がまともに戦えない選挙」にしてしまった遠因だと考える。

筆者の言う「決定的な準備不足」とは、こうした歴史的経緯全体のことだ。その上で、改めて今回の都知事選を振り返りたい。