江南の私物の中にあった「母親あての手紙」
けれどもおれには、彼に対する同情心なんか、これっぽっちもわいちゃこなかった。いまになって悔いくやんで、いくら泣いてみたところで、死んだ江南はもう生きかえっちゃこないのだ。そう思うと急に兇暴な怒りが、おれの胸に噴きあがってきた。畜生! こんなことがあっていいのか。おれは中元に飛びかかって、蒼ざめたその横っつらを滅茶苦茶に叩きのめしてやりたいと思った。
巡検後、おれは山岸と二人で、江南のチストのなかのものを整理して、官品と私物を分けてやった。江南はわりあい几帳面な男だったので、こまかい襟飾や袴下なども、きちんと規定通りにたたんで入れてあった。ついでに手箱も片付けてやったが、手箱には、洗面用具などといっしょに、書きかけの便箋が入っていた。あけてみると、それは母親にあてたものであった。
「お母さん、その後もお元気ですか。先日はお手紙ありがとうございました。懐かしく拝見しました。今度のは十日で着きましたよ。きっと便船の都合がよかったのでしょう。弘子からの絵はがきも一緒に受取りました。弘子は、だんだん字が上手になってきましたね。もうこんどは六年生ですね。しっかり勉強するように言って下さい」
「楽しく元気で軍務に精励していますから…」
「お母さんの痔のほうは、その後どうですか。まだ痛みますか。坐り仕事だから大変ですね。痔には硫黄のくすり湯が効くそうですから、ためしにやってみて下さい。根岸の貞次おじさんが退院したとか、叔母さんや咲ちゃんも、きっと大喜びでしょう。僕からもよろしくと言って下さい。僕もこのごろでは軍艦生活にだいぶ馴れました。常夏の暑さももう平気です。
昨夜は夜間訓練があったので、夜食に甘いお汁粉が出ました。とてもおいしかったので、お母さんや弘子にも食べさせてやりたいと思いました。困っていることや辛いことは少しもありません。毎日楽しく元気で軍務に精励していますから、どうか御安心下さい。
それからこれはお願いですが、うちにメンソレータムか、たいおつ膏があったら送って下さい。体にすこし田虫ができたのでつけたいのです。でもたいしたことはありませんから、もしお母さんが……。」
手紙は、そこで切れていた。おれはじっと息をつめた。目がかすんで、手が急に震えだした。