妻に暴力を振るい、娘を精神的に追い詰めていた
「母の病状が一気に悪化したのは、それまで父が無理をさせていた可能性があります」
正弘は支配的な父親から逃れるため、実家から離れた大学に進学し、就職して家庭を持ってからも冠婚葬祭以外はほとんど実家に帰ることはなかったという。母親とは頻繁ではないが電話で連絡を取っており、異変に気が付いたのは事件から一年程前、必ず電話に出るのは和子だったが、忠雄が電話を取った時だった。正弘が和子のことを尋ねると、忠雄は「風邪を引いて早く寝た。心配はない」と話していた。
「父が家の電話に出るなんて今までなかったので、いやな予感はしていたんです。この時、実家に帰っていればこんなことにならなかったかもしれない……」
正弘は、今でも後悔の念が消えないという。
忠雄は、家事育児は女性の役割だと決めつけ、何があっても手を出さなかったことに加え、家族の問題に他人を介入させることを極端に嫌がった。
正弘の妹は結婚して実家からそう遠くないところで生活していた。ところが、夫から家庭内暴力を受けるようになり、実家に帰りたいと訴えたことがあったが、忠雄は「出戻りなんてみっともない!」と実家に近寄ることさえ許さなかった。
DVに対しても、「お前が融通が利かないから悪い」「我慢が足りない」と被害者に説教する始末。忠雄もDV男で、激昂すると平気で和子に手を上げていた。
「殺されそうになって助けを求めて来た娘を追いかえす親なんです。周りに迷惑を掛けないようにって世間体ばかり気にして、家族を守れないなんて最低ですよ」
正弘の妹は、夫と離婚できたものの、鬱病を患い生活保護で暮らすようになった。生活保護の受給に関し扶養照会が届くと、急に「家族の恥だから」と実家で受け入れると言い出し、正弘が弁護士を立てて忠雄の介入を拒否したのだという。
人に迷惑を掛けてはいけないという呪縛
私たちは幼い頃から「人に迷惑を掛けてはいけない」という教えを叩きこまれている。当然のことのように思うかもしれないが、迷惑をかける、つまり、人に頼ってはいけないのであれば、高齢者や障がい者、子どもなど支援がなければ生活できないマイノリティは生きていけないことになる。こうした縛りが家族の中に問題を押し込め、社会にどれだけ支援が存在したとしてもそこに繋がる道を塞いでしまっているのである。
重い刑を科すことが事件を防ぐわけではない。しかし、加害者を安易に被害者と見做し「仕方がなかった」ように結論付けて事件を終わらせてしまうことは結局、家族の問題は家族で解決すべきという家族責任論に行きつく。
相談してくれることを待つのではなく、一定の年齢に達した人々には、介護サービスの利用が必要ないかどうか連絡する等、社会から家族に対する積極的なアプローチが求められている。