「一歩間違えば私も殺人犯になりそうだった」

「介護サービスとか耳にしたことはありましたが、まずどこに連絡をすればよいのかわかりませんでした。実は、妹が鬱病で生活保護を受給しているんですよ。妹の方が福祉に詳しくて、妹から手続きなど教えてもらいました」

忠雄は現在、老人ホームで生活しているが、入居ができるまでの約1年間は、正弘の家族が自宅に引き取って面倒を見ていた。

「父は認知症っていうだけじゃなくて、刑務所から出てきてるわけですから……。とにかく近所に迷惑かけないように気を遣っていました」

忠雄の介護のために、正弘の妻は仕事を辞めざるを得なかった。

「妻は、私と父親の関係が良くないことを分かっていますから、私に介護を任せて、今度は私が父を殺すようなことになったら困ると、仕事を辞めて介護を引き受けてくれたんです。確かに、時々、父に対する憎しみの感情が込み上げてくることがあって、一歩間違えば私も殺人犯になってしまうような心境でした」

暗い部屋で途方に暮れる男
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです

犯罪者となった家族に対して、正弘のような感情を抱いている家族は決して少ないわけではない。

忠雄は亭主関白で、妻の和子に対する家事の要求も厳しかったという。食事は時間通りでなければ怒り出し、どれほど和子の体調が悪くても自宅で調理した料理でなければ口にしなかったという。無論、忠雄が自分で料理をするようなことは何があっても考えられなかった。

「お父さんも被害者」のひと言に激昂

刑事裁判で弁護側は、和子が癌を患い、外出ができなくなると、忠雄は慣れない家事を努力してこなしていたと主張した。病気の妻のために買い物に行ったり、少しでも身体にいい食べ物をと近所の店の人に聞いていた忠雄の様子を美談のように語っていたのだ。その発言に、正弘は憤りを感じずにはいられなかった。

「正直、私にとっては違和感がありました。いまどき、家事をやるのは当たり前じゃないですか。それを慣れない中、頑張ってたとか……。料理ぐらい最初から自分でできれば問題なかったはずです。母を殺していい理由にはなりませんよ」

忠雄に下された判決は懲役3年。

「3年って……。人を殺しておいてね、10年位刑務所に入って償うべきじゃないでしょうか」

正弘は判決に不服だっただけではなく、事件報道に対しても大きな違和感を抱いたという。

「介護殺人を取材しているっていう記者から手紙が届いたんですけど、『お父さんも被害者ですよね』と書かれていて……、正直、何も知らないくせに! と腹が立ちました。頭に来たので、私は事件は傲慢な父が招いた結果で、『被害者』といえる部分など一ミリもないと訴えたんですが、記事にはなりませんでした。記事になっていたのはお涙頂戴話ばかりです」

筆者も同様の取材を受けた経験があるが、正弘の感情はよく理解できる。加害者にしたい人物に対しては加害性や異常性を強調する事実ばかり拾うくせに、被害者にしたいと思えば今度は可哀想な話にしか耳を傾けないのだ。実態を伝えるのではなく、「主張ありき」の取材には違和感しかない。そんなに世の中は単純ではないはずだ。