2022年のロシア軍によるウクライナ侵略についても、ブダペスト合意違反である。この覚書は反故にされてしまっている。もはやこの覚書に頼ることはできず、それに代わって強力な法的担保のある安全保障体制の構築が必要である。
ロシアが挑発行為とみなした「NATOの東方拡大」
外交では、プーチンは西側との協調路線を維持した。2006年7月には、G8の議長国として、サンクトペテルブルクでG8サミットを開催している。
2007年2月10日、ミュンヘン安全保障政策会議で、プーチンは、「冷戦後にアメリカ一極集中の世界は実現しなかった」と述べ、「アメリカの一方的な行動は問題を解決しておらず、新たな緊張をもたらしている」と指摘した。そして、NATOの東方拡大を「相互信頼のレベルを低下させる深刻な挑発行為」だと厳しく批判したのである。
それまでプーチンは、西側との協調路線を歩み、NATOの東方拡大などの屈辱にも耐えてきたが、ここにきて堪忍袋の緒が切れたように、アメリカへの不満を爆発させたのである。この演説は西側に大きな衝撃を与えたが、アメリカは、その不満の深刻さを正確に認識できなかったのである。冷戦の勝者として、敗者の痛みなど無視したアメリカの傲慢さ、鈍感さが、その後の事態の悪化の背景にある。
アメリカは、NATOの東方拡大へのロシアの懸念を真剣に受け止めず、さらに傷口に塩を塗るような行為に出た。2008年春にブカレストで開かれたNATO首脳会議において、アメリカはウクライナとジョージアの加盟を強く主張したのである。
これは、プーチンの神経を逆なでする提案であった。ロシアの反発を懸念するフランスとドイツの反対で、首脳会議は「ウクライナとジョージアをいずれNATOに加盟させる(will become member)」と、加盟時期を明示しない宣言をまとめた。これが、ブカレスト宣言と呼ばれるもので、4月3日に採択されている。
「米英vs独仏」の構図でバランスが保たれていたが…
プーチンにしてみると、フランスやドイツは冷戦の敗者であるロシアに一定の配慮をしているが、アメリカはロシアの封じ込めしか考えていない冷徹な勝者である。イギリスは、アメリカの立場に近い。つまり、西側の中で、「米英vs独仏」という対立があり、そのバランスが機能しているかぎり、ロシアにはまだ妥協する余地があったのである。
皮肉なことに、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻は、独仏をも英米側に押しやってしまった。プーチンにとっては、大きな誤算である。
ウクライナでは、親欧米派と親露派の対立が続いてきた。2010年に政権に就いた親露派のヤヌコーヴィチ大統領は、ロシアの圧力によって、2013年11月にEUとの協力協定への署名を取りやめた。