ドイツと手を組んだウクライナへの怒り
ボリシェヴィキ政府は、ウクライナにドイツが干渉するのを防ぐために、ドイツとの講和交渉を急いだ。
ところが、中央ラーダは、一足先に1918年2月9日、ドイツと講和した。ウクライナは、ボリシェヴィキと戦うためにドイツ軍の支援を受け、それと交換にドイツに100万トンの穀物の供給を約束したのである。
ウクライナの主要産品は、肥沃な大地が生み出す小麦などの穀物である。2022年に始まったウクライナ戦争で、その輸出が制限されたために、世界が食糧危機に陥ったことは周知の事実である。ドイツ軍はこの中央ラーダとの連携に力を得て、赤軍(ソヴィエト政権の軍隊)を攻撃し、首都ペトログラードに迫っていった。
そのような状況で、レーニンは革命の結果生まれた新体制を守るため、即刻の講和を主張して、3月3日に講和条約(ブレスト=リトフスク条約)を締結した。その結果、ロシアは、フィンランド、ポーランド、バルト三国、ウクライナなど、多くの領土を失った。
ドイツと手を組んだウクライナの裏切りが原因であり、この屈辱をスターリンもプーチンも忘れなかった。ウクライナへの怒りの念が、2022年のロシア軍のウクライナ侵攻の背景にある。
プーチンの狙いは帝国を復活させること
その後、第二次世界大戦でスターリンはヒトラーに勝ち、領土を奪還し、東欧諸国を支配下に置いた。プーチンがスターリンを尊敬する理由は、広大な領土を誇る大国、帝国を復興させたからである。
ソ連邦解体後のNATOの東方拡大は、「21世紀のブレスト=リトフスク条約」であり、それを是正し、帝国を復活させることこそが自らの責任であるとプーチンは確信している。
1999年8月に首相に就任したプーチンは、チェチェン紛争に介入し、親露派政権を樹立した。2000年3月の大統領選挙でプーチンは当選し、引き続き大国ロシアの復活という課題に挑戦していく。
1991年のソ連邦の解体で独立国となったジョージア(グルジア)で、2008年に南オセチア紛争(ロシア・グルジア戦争)が起こった。ジョージアには、親露派で分離独立を唱える南オセチアとアブハジアが存在していた。
2008年8月、グルジア軍は南オセチアの首都ツヒンヴァリに対し軍事行動を起こしたが、ロシア軍が南オセチアに入り、激しい戦闘が行われた。その結果、グルジア軍は撤退を余儀なくされ、ロシアは南オセチアとアブハジアの独立を承認したのである。
2022年2月のロシア軍によるウクライナ侵攻は、この2008年のグルジアに似ている。親露派勢力の要請で軍事侵攻し、独立国として承認するというパターンである。
2014年3月、ロシアはクリミア半島を併合した。その根拠は、住民投票によってロシア帰属が決められたことであるが、その住民投票はウクライナ憲法違反である。そこで、ロシアは、クリミアに独立宣言をさせ、独立国家としてロシアに併合したのである。