外国語を勉強するのは「世界を広げるため」

ChatGPTは、外国語の教師や通訳・翻訳者の役割を減少させる。そして、その人たちの職を奪う。しかし、その他の人々が直接に外国語を使えるようになることの重要性を減少させるわけではないのだ。

以上をまとめると、つぎのとおりだ。

ChatGPTが外国語を勉強する必要性を減少させることは否定できない。しかし、「ChatGPTが翻訳してくれるから外国語を勉強する必要がない」と考えるのではなく、「ChatGPTがあるから、それを使って外国語を勉強しよう」と、人々が考えるようになることを望みたい。

外国語を勉強することは、世界を広げることだ。それは、自動翻訳がいかに発達しても変わらない。ChatGPTの登場によって、われわれは世界を広げることが容易になった。その可能性をぜひ実現しよう。

外国を理解し、日本が世界から理解されることの重要性

言葉は、芸術や文化と密接に結びついている。

日本の芸術や文化も素晴らしいが、外国の芸術や文化も素晴らしい。外国人に日本の芸術や文化を理解してもらい、日本人が外国の芸術や文化を理解し楽しむためには、翻訳や通訳に任せきりにするのではなく、自ら外国語を使えることが必要だ。

そうした観点からの外国語の必要性を、われわれはもっと認識すべきだ。

文学作品など言葉のニュアンスが重要であるものについて、自動翻訳では、真の価値は理解できない。ことに詩の場合には、翻訳すれば、ほとんど価値がなくなってしまう。

外国の文学作品は、作者の国の言葉でないと、その真の価値を理解できない場合が多い。シェイクスピアの戯曲は英語でなければ、ゲーテの詩はドイツ語でなければ理解できない。イタリア語のオペラを少しでも分かると、とても楽しい。

外国の映画についてもそうだ。字幕では理解できないところが多い。とくにジョークについては、まず伝わらないと考えるべきだろう。

外国語の勉強を放棄することは、以上のような理解を捨てることだ。

日本人が外国の文化に接することが、自動翻訳を通じて間接的にのみなされるようになれば、日本人の外国に対する親しみや理解が低下するだろう。また、日本人が日本列島の中に閉じこもってしまえば、日本が世界から理解されなくなってしまうだろう。