「100円でええ」
午前10時ごろ到着した。現場には、すでに、チラシを片手にした女性たちが待っていた。
露店を出す前日に、自分たちで刷った「矢野商店」のチラシを、その周辺の住宅のポストに入れて歩いた。それを見た人たちが、矢野の到着を今か、今かと待っていたのである。
ふだんは、朝4時ごろに起きて早めに現場へ着き、商品に値札をつけて開店準備をする。
しかし、今回は開店準備などしている場合ではなかった。
「早くして!」
待っている客たちにせかされ、急いで荷物を降ろした。
商品を並べる前に、勝手に客が段ボール箱を開け、目当ての商品を探し出す。
「これ、なんぼ?」
急いで、伝票を見る。
「ちょっと待って」
扱う商品の数は、何百にもなる。なかなか、見つからない。
客を待たせるわけにはいかない。思わず矢野の口をついて出た。
「100円でええ」
石油ショックで原価がどんどん上がってしまう
それを聞いたほかの客も、矢野に聞いてくる。
「これは、なんぼ?」
矢野はまた答えた。
「それも、100円でええ」
値段をつけるまもなく、商品が売れていく。
こういう意図しないきっかけから、矢野が扱う商品は、全部「100円」になった。
矢野が思わず口にした「100円」が、矢野の人生の運命を変えることになる……。
「矢野商店」を立ちあげ、商売をはじめても、いいことはなかった。
100円均一で商品を売るということは、上限が決まっていて値上げができないということだ。やっと食えるようになったかと思えば、昭和48年(1973年)の石油ショックや、田中角栄の列島改造論などでインフレになり、原価がどんどん上がってしまう。
気がつけば、10パーセントも仕入れ値が上がっているものもあった。