本にまみれている今の環境がありがたい

リブロでの19年の広く深い経験が15坪という空間でエスプレッソのように抽出された、それがTitleなのだろう。

辻山と妻綾子は店から自転車で10分ほどのマンションに暮らす。最近はTitleの棚と自宅の本棚が似てきた、店に並べている本が自分の身体の延長のような感覚になってきたと辻山は笑った。

「自分と職業が混在している感覚があります。もう本まみれになりたいし、実際にまみれているというか、その中からいろんな方に本を届けることができるし自分の滋養にもなっている。そういう環境に身を置いていられることがすごくありがたいです」

写真=iStock.com/DmitriiSimakov
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本を紹介する仕事は自分にとって最も齟齬そごのない選択だったと辻山は振り返って思う。

「本しか知っているものがないというか……。それなのに、突然銀行員になりました、なぜなら給料がよさそうだからとか、そういうのもちょっとおかしいだろうという気持ちが、就職活動のときにあったと思います。でも、どのような仕事であれ、ある程度習得するまでは時間がかかるし覚えなきゃいけないことはたくさんありますが、覚えてしまえばあとは一定の作業のパターンのようなものになっていくことには特段違いはないのではないでしょうか」

本は手段ではなく、純粋に味わうべき対象

「ではその先に何があるのかといったら、あとは人間性しかないんですよね。ある1人の人間性がある仕事を得てどのように花開いていくかという意味では、私の場合、本が自分を生かしてくれました。本を商うことでより自分を解放していろんな仕事をさせてもらっています」

だが、大書店で書店員として働くことと、書店を経営することには同じ業種でも比べようのない根本的な違いがあるようにも思える。辻山が書店主に向いているのは、もしかすると、一人でいることを好む質だからなのではないか。それは、例えば来店客と接する辻山を見ていても思うことだ。

辻山は一言二言、言葉を交わすことはあっても、来店客と雑談をしている様子はなかった。その代わり、誰かに本を贈りたいといった本に関する相談には熱心に応じていた。こと本に関わることには言葉を惜しまないが、それ以外のことについては、例えば本を通して人間関係を耕すといったことにはあまり興味のない人なのではないかと思った。辻山にとって本はあくまでも純粋に味わうべき対象であり、紹介するべきものだ。本を何か別の目的のための手段にすることは考えられないのだろう。