現代では古典の名作とされる「源氏物語」だが、一貫して評価が高かったわけではなかった。ライターの北山円香さんは「江戸時代までは仏教説話などと結び付けられており、社会情勢の変動のなかで大きく評価を変えてきた。そのため、『低俗』『駄文』といった評価がされていた時期もあった」という――。

※本稿は、源氏物語研究会=編『紫式部と源氏物語の謎』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

源氏物語画帖・部分
源氏物語画帖・部分(写真=メトロポリタン美術館所蔵/CC-Zero/Wikimedia Commons

オリジナルの「源氏物語」は存在しない

現代を生きる私たちは、当たり前のように「源氏物語」を読んでいます。1000年前に書かれた本作が、時を超えて現代に伝わるには、この物語に魅了され続けた先人たちの絶えざる努力が欠かせませんでした。

なぜなら、紫式部本人が書いた「源氏物語」は、この世のどこにも存在しないからです。つまり、現存する「源氏物語」はすべて、後世の人間が多くの写本を参考にしながら、オリジナル版を復元しようとして作成したものなのです。

まずは、この物語の来歴から確かめてみましょう。

「源氏物語」には実は3種類ある

現存する「源氏物語」の本文は、通常ルーツによって3種類に分類されます。それが、①青表紙本系統、②河内本系統、③別本系統です。青表紙本は、鎌倉中期の歌人・藤原定家によって作成された証本、河内本はそれとほぼ同時期に河内守源光行・親行父子によって作成された証本、別本群はそのいずれにも属さない証本を指します。

青表紙本と河内本は、いずれも54巻という形態で、巻順も同じです。研究者でなければ、差異に気づくことは難しいかもしれません。

さて、普通私たちが手にする「源氏物語」は、このうち青表紙本系統に属します。数ある版のなかで、青表紙本が広く受け入れられたのはなぜなのでしょうか。

その謎を解くカギは、藤原定家という伝説的な歌人の存在にあります。和歌の世界において定家の存在が神格化されるに伴い、室町時代ごろより、彼の手になる青表紙本が「源氏物語」の「正しい」本文であると認識されるようになったのです。

室町時代の公家・三条西実隆は、『弄花抄』のなかで、河内本よりも青表紙本の方が文学的に優れていると主張しました。もちろん、文学的に優れていることと、オリジナル版との近接性は関係がありません。ところが、当時の大学者たちからお墨付きを与えられたことで、青表紙本はその他の伝本を凌駕する権威を帯びていきました。