「青表紙本はオリジナルに忠実」と判断された
青表紙本が広く受け入れられた理由は、もう一つあります。昭和に入って、佐渡で現在では重要文化財に指定されている青表紙本系統の「大島本」が発見されたのです。国文学者・池田亀鑑がこれに注目し、新たな校本である『校異源氏物語』を発表したことで、現代の「源氏物語」研究の新たなスタンダードが生まれました。
どうして、池田は青表紙本系統の「大島本」を高く評価したのでしょうか。藤原定家の日記『明月記』には、定家が青表紙本を作成する際に、解消しきれない不審な点を感じていたことが記されています。これに対し、河内本を作成した源親行は、諸本を校合することによって、不審な点のほとんどを解消したといいます。
つまり、河内本では原本の復元よりも、文章を明瞭にすることが優先されたと考えられるのです。池田は、これらの事実から、青表紙本は本文をみだりに改めておらず、オリジナル版を尊重しているだろうと判断しました。
「源氏物語」の原姿を見ることはまだまだかなわない
とはいえ、青表紙本を読めばオリジナルに近い物語を楽しめるというわけではないのが、難しいところです。近年の研究では、青表紙本の名称の付け方、分類上の問題が数多く指摘されるようになり、その不動の地位が揺らぎつつあるのです。
本来、文献学の研究において作品の諸本を分類する場合は、本文の形状・性格等を捉えることが優先されるべきだとされています。ところが、「源氏物語」では中世以来の「青表紙本」という概念が重んじられ「定家作成」という起源ができたため、本文の特徴が「青表紙本」的の本文であっても、定家以前の写本は「別本」に分類されてしまうという、おかしな事態が発生するのです。
これにより、本文研究は振り出しに戻った感があります。「源氏物語」の原姿を求める果てなき夢は、まだまだ先の長い旅の途中にあるのです。