儒仏文化から解放した本居宣長
長いあいだ凝り固まっていた「源氏物語」の読み方に革命を起こしたのが、江戸時代の国学者・本居宣長でした。宣長は、異国の儒教・仏教の書によって本作を論じてきた旧来の読み方を批判し、物語が「たゞ人情の有のまゝを書しるして」いると主張しました。つまり、勧善懲悪や仏教説話などという枠組みから物語を開放し、その自立性を説いたのです。
ただし、「もののあわれ論」を即作品そのものの主題とするには問題があります。その眼目が儒仏文化からの解放にあったにもかかわらず、あたかも『源氏物語』そのものの主題であり、ひいては日本文学の土台でもあるように捉えられているのは、過大評価だという向きもあるので、注意が必要です。
明治維新に伴う西洋文化の流入は、「源氏物語」にとって大きな危機でした。先進的な西洋文学を至高と見なす影響下では、日本の古典文学全体が軽視されてしまったのです。明治期において「源氏物語」を評価した著名な文化人は、わずかに尾崎紅葉・樋口一葉・与謝野晶子らを数えるばかりです。斎藤緑雨にいたっては、「悪文の標本也」とまでこきおろしています。
社会状況の変化に応じて評価を変えてきた作品
逆風のなかで「源氏物語」再評価のきっかけを作ったのが、文豪・谷崎潤一郎です。谷崎は『文章読本』のなかで、「最も日本文の特長を発揮した文体」と絶賛し、翌年から現代語訳に取り掛かっています。
戦後になると、「源氏物語」は見事に復権を果たしました。漫画、舞台、映画など様々な加工品に姿を変えつつ、毎年100本以上の研究論文が生み出されるようになったのです。現代語訳も上梓している作家の田辺聖子は、「源氏物語」を「勝負や黒白のつかないオトコ文化における『愛』と『恋』の世界を扱ったもの」として、復権の理由を敗戦によるオトコ文化の崩壊に求めました。
「源氏物語」は社会状況の変化にともなって、振り子式に評価を変えてきたと言えます。