外国人も使って西郷隆盛を思いとどまらせた

勝海舟は外国人もうまく使って、西郷隆盛の機先を制しました。

外国人とは、具体的にいえば、イギリスの駐日公使パークスとその部下のアーネスト・サトウのことです。

後者のサトウは英国公使館付の通訳官(のち書記官)であり、幕末のイギリス人の中で“日本三大学者”の一人に数えられた人物です。

「日本の混乱を鎮めるためには、将軍が諸侯の地位に下り、帝(天皇)を戴く諸侯の連合体が政治を担当するのが妥当である」

という論文を、薩長同盟ができる前に書いていたほどの日本通でした。

パークスもサトウを自らの目や耳のように、大切にしていました。

土佐脱藩浪士・坂本龍馬や長州藩士・桂小五郎(のちの木戸孝允)も、サトウに会ってその卓見に耳を傾けていました。

前述した新政府軍を率いて江戸に向かう途中、西郷は横浜にある英国公使館にも気配りを示しています。

薩摩藩とイギリスとは、かつて薩英戦争を戦った間柄でしたが、その後、薩摩藩からイギリスに使節団を派遣したり、パークスが薩摩を訪れたりと、関係は良好になっていました。

西郷は、江戸で戦争になれば負傷兵が出るので、その折にはイギリス公使館にも医療行為でサポートしてもらいたい、との思いもあったようです。

負けられない一戦で、他人の力を借りる

ところが、江戸総攻撃の話を聞いたパークスは、烈火の如く怒りました。

「あなたたちは、降伏した人間をさらに攻撃するというのか! 既に将軍は政権を返上し、謹慎して、恭順の意を示している。にもかかわらず攻撃をやめないのは、国際法違反になる。そんな不法行為の手助けなどまっぴらゴメンだ」

加来耕三『リーダーは「戦略」よりも「戦術」を鍛えなさい』(クロスメディア・パブリッシング)

味方だと思っていたイギリス公使の言葉に、西郷もさぞ驚いたことでしょう。

実はこれには裏があり、あらかじめ勝がサトウを通じて、「戦争を回避する手助けをしてほしい」とパークスに頼んでいたのです。

こうした準備をしたうえで、勝は西郷との交渉の場に臨みました。西郷は江戸城を攻撃することを諦め、江戸は戦火を免れたのでした。

負けられない一戦で、自分の力だけではなく、他人の力を借りて目的を達した勝海舟の戦術は、現代のビジネス社会においても大いに参考となるのではないでしょうか。

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