善と悪の単純な二項対立ではない
――そんなキャラクターにした著者の狙いはなんでしょうか?
【ニシダ】著者のJ・K・ローリングさんが物語の世界に入り込みすぎたんじゃないでしょうか。
描こうと思えば、もっとみんないい奴として描けたと思うんですよ。ローリングさんはあんまり本が売れていない時代も長く、鬱になった時期もあったと聞きます。その中で、心の鬱屈した部分や人の嫌な面もたくさん見てきたと思うんですよ。
その結果、ただの空想世界における単純化した善と悪、という二項対立にならなかったのではないかと思います。
ハリー・ポッターの世界で、ハリーの両親の死に関わった悪の魔法使い・ヴォルデモートは絶対悪ですが、それ以外の敵はそうでもないですしね。もちろん主人公側も同じです。
映画は小説の2割程度しか描かれていない
【ニシダ】映画では2~3時間の中に収めなければいけないので、そういった善でも悪でもないグレーな部分は描ききれなかったのだと思います。
短い時間で観客にストーリーを理解させるには、登場人物を善と悪、どちらの陣営に所属しているか、明確にしなければいけない。これの弊害は、スネイプ先生の立ち位置や心の動きがよくわかんなくなるんですよ。
小説では、スネイプは影の主人公だと思っているんです。悪側にいたけど愛した人を守るために二重スパイとして危険な橋を渡ったり、自らダンブルドアに手をかけなければいけなくなったり、とにかく善と悪を行き来するので、身を削りまくっています。
スネイプ先生の他にも、原作での魅力的なキャラクターが、映画ではちゃんと描かれない。映画だけをざっくり捉えると、主人公ハリーが巨悪・ヴォルデモートを倒す話になるんですが、それでは原作での世界観の細かさ、奥深さに気づけないし、人間の感情の動きや葛藤、生い立ちからわかる人間ドラマも正確に捉えられないんですよ。
映画は小説の2割程度しか描かれていないと言えます。映画だけ見て小説を読まないのはかなりもったいない、いや映画だけで済ますのはよくないんですよ。
小説はとても面白いので、絶対読んでほしいです。これだけ小説の愛を語っていますが、僕にお金が入るわけではないので!
(後編に続く)