笠置シヅ子は76年前に出版した自伝に、吉本興業の後継者だった9歳下の男性との恋の顚末をつづっている。朝ドラについての著作があるライターの田幸和歌子さんは「笠置をモデルにしたドラマ『ブギウギ』と史実では異なる点がある。自伝によると、笠置は一度も恋人の男性と2人きりで暮らせなかったようだ」という――。
笠置シヅ子(写真=朝日新聞社『アサヒグラフ』1950年1月18日号)
笠置シヅ子(写真=朝日新聞社『アサヒグラフ』1950年1月18日号/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

笠置シヅ子と恋人のエイスケは6人で共同生活を送っていた

朝ドラことNHK連続テレビ小説「ブギウギ」の舞台は戦後に入り、第15週では終戦間もない混乱期の生活が描かれた。

笠置シヅ子をモデルにした主人公・スズ子(趣里)は、巡業先の富山で玉音放送を聞く。そのとき、淡谷のり子がモデルの茨田りつ子(菊地凛子)は慰問先の鹿児島で敗戦を知り、作曲家の服部良一に当たる羽鳥善一(草彅剛)は中国の上海で日本に戻れるかわからない不安にさいなまれていた。

その後、終戦から3カ月が経過した日本では、混乱状態が続いており、スズ子たちは戦中と変わらず公演ができないでいたが、結核の症状が落ち着いてきたスズ子の恋人・愛助(水上恒司)は大学に復学。食糧を闇市で調達し、スズ子の付き人である小夜(富田望生)が米兵に片言の英語で「ギブミーチョコレート」とねだるという、昔からさんざん“こすられてきた”戦後描写も盛り込まれた。

「チョコレートなんて久しぶりやわ」とスズ子は言う。おそらく愛助との恋愛に夢中のスズ子の頭には、かつて一方的に思いを寄せたフランス帰りの演出家・松永(新納慎也)から口中に放り込まれる「チョコレート、あーん」の甘い思い出などよみがえってくることはないのだろう。

常に他人がいて「二人だけで落ちつくなんてことは到底望めず」

ところで、ドラマではスズ子の献身的な看病に心を動かされたエイスケの母の部下・坂口(黒田有)の計らいにより、東京郊外である三鷹の一軒家を借りていたスズ子らだが、自伝『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年発行、北斗出版社)によると、実際には荻窪のフランス人の留守宅に住んでいたという。

また、ドラマではラブラブの二人におじゃま虫的に小夜が割り込んでいるシーンが多いが、小夜は同居せず近くに下宿している設定のため、恋人同士の時間は確保されていると思われる。しかし、実際には二人だけの時間は全くなかったらしい。

自伝によると、多くの人が空襲で家を失っていた終戦直後、笠置は坂口のモデルとなった吉本興業の林弘高常務の親戚らと5人で8畳の茶室で寝起きし、恋人である吉本興業の御曹司エイスケ(愛助のモデル)は2階の洋室に住むという奇妙な同居生活を送っていたとある。当時の心境について、笠置は自伝でこう記している。

「私とエイスケさんとの生活で、後にも先きにも同じ屋根の下に起居を共に出来たのはこの時以外にありません。と、いっても寄合世帯なので二人だけで落ちつくなんてことは到底望めず、垣を隔てて隣家にはエイスケさんの叔父さんの林常務がいられるし、同居の罹災者には林常務の奥さんのお父さんやお兄さんがいらツしゃるし、少しも気が休まりませんでした」(『歌う自画像:私のブギウギ傳記』より)