笠置の自伝によると、エイスケは遊び慣れたボンボンだったか
また、自伝を読むと、笠置とエイスケの人物像や恋愛関係も少々違った印象に映る。
例えば、この奇妙な同居生活について、笠置は「でも衆人環視の中で愛情の火花を散らすのも、焦れッたい反面、また刺戟的なものでした。私たちは絶えず眼で物を言い合いました」と惚気ているのだ。
ドラマの第11週では、スズ子と小夜が都心にあった愛助の部屋を訪れ、強引に掃除する場面があった。ここでは、スズ子関連の資料など“オタグッズ”が部屋に散乱する愛助のオタクぶりと、「男の趣味を理解しない女」「出会ったばかりの男の部屋を掃除する女」が描かれ、一部視聴者から批判の声もあがっていた。
しかし、自伝では、こんな記述がある。
世間にも吉本興業の人間にも交際を秘密にしていた
スズ子が潔癖症できれい好きという印象はドラマではあまり感じられないうえ、二人の関係も「世話焼きの姉さん女房×年下オタク」の構図に見える。しかし、エイスケという人物はなかなかどうして世慣れた人物であったようだ。
ドラマでは坂口が二人の仲を知りつつ応援しているが、史実では二人の交際は秘密になっていた。エイスケの実姉も東京に住んでいたが、その姉にも隠し通していたようだ。しかし、さすがに林常務にはバレてきたことから、「正式に話を持ち出すまでは控え目にした方がよいと思ったから」という理由で、終戦の翌年、1946年1月に西荻窪の服部良一邸に笠置だけが引っ越しをする。これで、荻窪での同居生活も終わりを告げる。
しかし、笠置は服部やその妻ががスター歌手だからと細やかな気遣いをしてくれるのに、かえって気が引けてしまい、そこから、洗足池のほとりにある知り合いの婦人宅の2階に引っ越しをする。エイスケはたびたび遊びに来ていたようだが、一緒に電車に乗っている姿を新聞や雑誌の記者に見つけられたときには、余裕の対応をしていたらしい。