少しずつ「雑さ」に慣れていこう
できないことがどんなに増えてきても、できたことだけ数えますから「まだ捨てたもんじゃない」「おや、わたしも大したもんだね」と上機嫌です。これなら身体を動かし続けることも苦痛ではありません。
60代70代であっても、もちろん同じです。もう仕事の第一線からは退いたのですから、完ぺき主義から抜け出すように心がけてください。
そのコツをひとつだけアドバイスします。
いろいろな作業や家事、料理でも掃除でも洗濯でも、「ちょっと雑だったかな」と思うぐらいのレベルだけ受け入れるのでなく、「しかしあまりにも雑すぎるな、笑ってしまうわ」くらいのレベルまで受け入れてしまうことです。
完ぺき主義の人の「ちょっと雑かな」は、そうでない人から見れば「これでどこが雑なのよ、キチンとしてるじゃない」と思われることが多いのです。
その証拠に、そういう完ぺき主義の人が知人の自宅に招かれると、「ずいぶん散らかっているなあ」とあきれます。招いた知人は、「あなたが来るから、さっきあわてて掃除したのよ」と言います。「普段はもっと散らかっているよ、これでも片づいているほうだよ」と笑っています。
高齢になったら楽に、気持ちよく生きていくのがいちばんです。雑さに慣れたほうが楽だし、それで本人が気持ちいいなら言うことなしなのです。
楽しみを残してそれをいつまでも味わい続ける
好きなことややりたいことに夢中になって気がつけば100歳、という人たちだってさすがにだんだん体力や気力が衰えてきます。
勤勉だった人が終日、庭を眺めてぼんやりしていたり、どこにでも出かけていた人が出不精になったりするようなことです。絵を描いていた人でも、画風が変わってきたり、長い小説を書いていた人が、淡々とした身辺雑記しか書かなくなるようなことです。
でも、好きなこと、やりたいことをやめてしまうことはありません。作風が変わろうが小品が多くなろうが、やはり好きなことはやめません。
つまり、できることはやり続けるという生き方は死ぬ直前まで変わりません。
この好きな世界に生き続けるということも、老いがいよいよ進んできたときの指針になってくるような気がします。つまり無駄な体力や頭脳は使わずに、楽しみを残してそれをいつまでも味わい続ける生き方です。
野山を歩くのが好きな人でも、庭の草花を育てて満足できるようになったら、それはそれで楽しみを味わい続けることができます。
施設に入ってほとんどベッドに寝たきりになった98歳の老婦人がいます。
彼女の若い頃からの趣味は、着物を着ることと旅行や外食でした。人前に出るのが好きで社交性があったのです。
でも、寝たきりになってしまうと、さすがに着物姿にはなれません。外出もできなくなれば社交性も発揮できません。もちろん外食もできませんから、だんだん元気がなくなってきます。