雑になることはたくましく生きるということ

「いまがいちばん苦労する時期だからしょうがない」と考えれば、「ここさえ乗り切れば」と自分を励ますことができます。

そこでもし、「いまからこんなじゃ」と先を案じる気持ちになってしまうと「この先はもっと大変だろう」としか考えません。どうしたって「やっぱり無理かな」と弱気になってしまいます。

その点で「最初はこんなもの」とか「これだけできれば上出来」というゆるい自己採点は強いです。

「それじゃ、結局失敗するんじゃないか」と思う人がいるかもしれませんが、80歳過ぎて何か始める人に完成度を求める人なんかいません。たいていは「あの歳でよくあそこまで」と感心してくれます。

それに、どんなに覚えが悪くなっていても、だてに歳はとっていません。いざとなれば「アタシはこれでいいの」と開き直ることだってできます。畑仕事に熱心なおばあちゃんでも、いよいよ身体が動かなくなってくると意外に手を抜くそうです。

「若いころは草一本取り残すのは嫌だったけど、なあに、少し雑草が生える速さと競走したほうが野菜の味がよくなるんだよ」とカラカラ笑います。

100歳でも元気に動いている人には、そういう雑さが自然に備わってくるような気がします。それがたくましさというものでしょう。

農園を楽しむシニア女性
写真=iStock.com/maroke
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自分に厳しい人は、身体の老いを受け入れられなくなる

身体の衰えは、嫌でも老いを実感させます。「まだ若いつもりだったけど、歳には逆らえないものだな」と感じるのは、やはり体力の衰えやさまざまな運動機能の衰えを知るからです。

でも、そこで「もう昔のようにはいかない」とあきらめてしまって、身体を動かさなくなると、衰えはますます加速されます。

「昔のようにはいかない」といっても、何もかもできなくなるわけではありません。時間はかかっても、完ぺきではなくても、できることはまだまだあるはずです。そのできることだけでも続けられるかどうか、それが大事になってきます。

そのとき、気持ちがポキンと折れてしまう人と、あきらめないでしぶとくできることを続ける人に分かれます。

ポキンと折れてしまう人は、「昔のようにいかない」というだけで自分に失望するような人です。あきらめない人は、同じように「昔のようにいかない」と思っても、「この歳でこれだけできれば、まだまだ立派なもんだ」と自分をほめて自信を取り戻せる人です。

両者の違いがどこから来るかというと、私は自己採点の厳しさ、甘さの違いではないかと思うことがあります。

自分に厳しい人には「こうでなければいけない」とか「こうあるべきだ」という思考法、いわゆる完ぺき主義が強く残されています。若いときからそういう傾向があったのでしょう。

それが年齢を重ねても変わらず残されていると、自分を責めたり苦しめたりすることになります。

逆らえない身体の老いにまで完ぺき主義を当てはめてしまうと、身のまわりにできないことだけがどんどん増えてしまいます。

その点で、自分に甘い人は老いも自然に受け入れ、上手に身をかわすことができます。