さらにこの理不尽にはまだ続きがある。
ドライバーに弁償させておきながら、その商品は引き渡さないケースもあるのだ。
「自分が運んでいる飲料関係は、弁済になった際、中の飲料は荷主のお茶になりドライバーの手元には来ないです」(50代長距離フリー)
「ある飲料メーカーは破損で弁済しても品物は荷主の飲み物になります。弁済は会社の荷物保険。個人的には免責の分を月1万円ずつ3回払いしました」(50代大型長距離)
「弁償だけさせて品物は渡さないとか意味分からん。中身大丈夫でも箱に傷つけただけで買取。輸入品の唐揚げの箱が破れてたのに気づかず、2万円の弁償で商品はメーカー預かりでした」(50代長距離冷凍車)
荷主の理不尽な言い訳
なぜドライバーに弁償させておきながら商品は引き渡さないのか。
ある荷主関係者に取材したところ、こんな答えが返ってきた。
「表向きは、正規外のルートで流通した商品によって事故が起きたらメーカーとして対応ができなくなるから。でも、その買い取らせた商品を安く売られては困るからという本音も裏にはある」(40代某菓子メーカー社員)
また、ある運送関係者も、
「昔、買取したものを運送会社側が安く売りさばいて、支払額を少しでも抑えようとしていましたが、それはメーカー的にアウトらしく。小売で売れば500円なのに運送会社が返品した商品を300円で売ったら自社には1円の利益もないですからね」(関西地方配車担当)
と話す。
が、そんなに商品を流通されるのが嫌ならば、小さな外装のキズ程度でドライバーに返品・弁償させなければいいだけの話ではないのか。
日本独特の「包む文化」がドライバーを苦しめている
日本の消費者や顧客がここまで段ボール箱に神経を使うのは、「包む文化」を大切にしているからだろう。
日本には中の商品はもとより、それを包装している箱や紙までをも大切にする文化がある。
香典や祝儀も「ふくさ」に包んで持って行き、もらったプレゼントの包装紙もビリビリに破らず、丁寧にテープをはがしてはいつ使うかも分からないのに大事に取って置く。
手土産を買えば、店員に頼まずともその個数分の紙袋が大袋に入っていたりもする。
普及しつつあるドア前の「置き配」も、当初はなかなか浸透しなかった。それも「地面に置いたら段ボール箱が汚れる」という声があったからだ。
この「包む文化」自体は非常にすばらしく、世界にも誇れるものだと思う。
しかし行き過ぎれば、労働の現場で「サービス」や「当然の配慮」として活用され、やがて「ルール」になる。
ブルーカラーの現場を取材していると、こういうパターンが非常に多い。現場労働者の疲弊ぶりを見聞きするたび、誰かが犠牲になる「おもてなし」とは、ただのパワハラ・カスハラでしかないと感じる。