医師は「世間知らず」なのか?
こうした論理矛盾をきたしているのは、「医クラは世間知らずだから」、そう片付けられるのかもしれない。
たしかに、医者になるためには、ある程度は、「世間知らず」にならざるを得ない。
医学部に入るためには、飛び抜けて受験勉強ができなければならないし、入学後も膨大な必修科目を落としてはならず、医師国家試験に合格せねばならない。
アルバイトや部活動に精を出すとはいっても、いわゆる「普通」の学生生活は送れない。医学部だけの部活動があるのは、その象徴である。
いや、それだけではない。
私立大学で学ぶためには、どこも軒並み、超高額な学費を支払う必要があるから、奨学金だけでは賄えず、両親をはじめとする家族が「裕福」である場合がほとんどだろう。
金持ちのボンボンが、大学受験だけではなく、学生になってからも試験勉強に集中し、医者になる人たちだけに囲まれる。
いざ医師になれば、死ぬまで絶えず「先生」と呼ばれ続ける。
なるほど、こうした人たちを「世間知らず」と言わずして、誰をそう呼べば良いのだろう?
キャリア官僚が受けたバッシング
「世間知らず」というだけなら、私のような学者もまた、負けず劣らずだし、1990年代に官僚が強くバッシングされたころは、東京大学法学部出身の国家公務員試験合格者=キャリア組もまた、そう名付けられていた。
旧・大蔵省に入った若手が、30歳そこそこで、各地方の税務署長として赴任するのは「世間知らず」になるのを助長する、そんな論調が支持を得ていた。
「バカ殿」などと陰口を叩かれていた人も多く、キャリア組の不祥事が続出した1995年以降は、「原則として税務署長に出すのは35歳以後」と方針を転換している(*4)。
この転換でキャリア組の「世間知らず」が減ったのかどうか。
少なくとも、ここ最近ではキャリア組に対して、そうした批判が少なくなっているのは確かである。
ではやはり、「医クラ」は、単なる「世間知らず」なだけだから、純粋培養を防ぐために、さまざまな社会経験を積ませれば良いのだろうか。