ある目標が達成されても、次なる目標が悩みになる

ここで、悩みを解決する、とはどういうことかを考えてみましょう。

悩んでいることがすっかりクリアになる、それが解決だと思っていないでしょうか。

もちろん、そうなることがベストです。しかし、そこにこだわっていると悩みは尽きないことになるのです。

たとえば、預貯金がゼロでお金がないことが悩みだとすれば、お金を貯めるためにさまざまな動きをするでしょう。生活を切り詰めるとか、もっと給料のいい会社に移るとか、アルバイトをするとか……。

その結果、なんとか100万円の貯蓄ができたとします。しかし、それで悩みは解決するでしょうか。しないのです。

100万円の貯蓄ができた時点で、必ず、「いや、いや、100万円では貯蓄があるとはいえない。もっと、もっと、貯めなきゃ。う〜ん、どうすればいいんだ」ということになる。新たな悩みにとらわれるのです。

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ある目標が達成されても、それでは満足できず、次なる目標が悩みになるのです。

この構図には際限がありません。どこまでいってもベストとは思えないからです。これはもう、人間の“さが”あるいは、“ごう”といってもいいかもしれません。

ベストではなく、ベターをめざす

そこで必要になるのが、「ベターでよし」とする感覚です。

貯蓄ゼロが100万円になったことは、明らかにベターな状況が生まれたわけですから、「おお、いいじゃないか」と受けとめる。ベターで悩みは一応の解決とするのです。

そして、次は100万円が110万円になるベターな状況をつくるために努力する。それを繰り返していけば、状況はどんどん好転していきます。

また、こういった考え方は、恋愛面でも有効です。

たとえば、少し古い価値観ですが、高収入、高学歴で容姿端麗ようしたんれいな異性をゲットしたいと思ったとしましょう。もちろん、そのために、立ち居ふるまいやファッションを磨き、話術をきたえるなど、それなりの努力はするはずです。

しかし、現実にはそんな三拍子そろっている相手と出会える可能性はそう高くはないでしょう。にもかかわらず、そこであくまでベストの三条件にこだわったら、たまたま二つの条件がそろった相手と出会い、いい関係になったとしても、悩みは解決されないわけです。

つまり、結婚に踏み切れないのです。ベストを求めて永遠にさすらうことにだってなりかねません。

でも、そこで「三拍子そろってはいないけれど、ここはいいよね」というふうに、ベターを解決とする考え方ができたら、結婚もできるし、その生活を幸福なものにすることだってできるのです。

ベストにこだわる“危険”はまだあります。

当初の思惑どおり、三拍子そろった相手をゲットしても、それをベストと思えるのはごく短い間だけでしょう。

自分の伴侶はほどなくベストから失墜しっついし、「あ〜あ、世の中にはもっと高いグレードで三拍子そろった人がたくさんいたのに……」ということにもなって、悩みが生まれるのです。

先の貯蓄の例と同じで、これにも際限がありません。

ベターをもってよしとする。ベターを一応の解決とする。その姿勢が悩みをずっと軽くしてくれるのです。