変えられない容姿を悩むより、丁寧な言葉遣いを磨く

容姿に自信がないという人も、そのことを悩んだからといって、容姿が変わるものではありません。もちろん、整形手術を受ければ多少の“好転”は望めるかもしれませんが、あくまでちょっとした修正にすぎません。

それよりは、いまの容姿のままで人とどうかかわっていくか、どのようにしてよい印象を持ってもらうか、いかに異性に好かれるか、といったことを悩むほうがいい。これならば、いくらでも解決策があります。

美しい、丁寧な言葉遣いを心がける、きめ細やかな配慮をする、他人に対する思いやりを深める、やさしさに磨きをかける……。それらはどれも“やる気”一つですぐにでも実践できることです。

誰もが振り返らずにはいられないような容姿端麗ようしたんれいの人でも、言葉遣いがぞんざいだったり、乱暴だったりしたらどうでしょう。おそらく、その魅力は大幅にダウンとなるはずです。

それに対して容姿はそれほどでなくても、美しい、丁寧な言葉遣いをする人の魅力は、言葉を交わすほどにアップしていきます。

10人が10人とまではいいませんが、前者より後者に好印象を持つ人は、少なくないのではないでしょうか。好印象にとどまらず、かれるという異性も絶対にいます。配慮、思いやり、やさしさについても同じことがいえます。

変えられないことを悩み続けてもラチがあきませんが、変えられることを悩んだら、必ず解決にまでたどり着くのです。

どちらの悩み方が賢いか、考えてみるまでもありませんね。

写真=iStock.com/xalanx
※写真はイメージです

「失敗は成功のもと」とは必ずしもいえない

「失敗は成功のもと(母)」という言葉は誰でも知っているでしょう。しかし、その意味は、失敗をすれば次は無条件で成功に導かれるということではありません。

工学博士の畑村洋太郎はたむらようたろう先生は『失敗学のすすめ』(講談社)という著書の中で、失敗は断じて成功のもとなんかではない、という意味のことをいっています。

まったく同感。失敗を成功のもとにするには、整えるべき条件があるのです。「分析」と「いましめ」がそれです。

なぜ失敗したか、どこで失敗したか、ということをきちんと分析する。また、同じ失敗は二度と繰り返さない、と強く自分を戒める。その二つの条件が整ってはじめて、失敗は成功のもとにも、母にもなるのです。

私は受験指導にもたずさわっていますが、模擬試験を受けたときには、偏差値や合格可能性は見るな、と常々伝えています。

仮に「偏差値53」「合格可能性D判定」という結果が出たとして、「ああ、これじゃあだめだ」と悩むことになったら、百害あって一利なしだからです。

すでに出た結果は変えられない。前述したように、変えられないことは悩んでも何の役にも立たないのです。

ならば、なぜその問題を間違えたのか、どの部分の勉強ができていなかったのか、どこを補っていけばいいのか、どのようなミスをしたのか……そこを悩む(分析する)べきです。