ちなみに就航から2カ月後の4月1日より、「1等クラス」(ファーストクラスに相当)に、現在のエコノミークラスにあたる「ツーリストクラス」が加わり、2クラス制となる。国際線の初年には既に現在に近いクラス制が始まった。
着物姿で客室乗務員がおもてなし
JALの航空機は豪華客船「太平洋横断便」と名付けられ、一流のサービスをうたっていた。DC-6Bの就航に合わせて作成されたパンフレットによると、現在のファーストクラスは「菊サービスデラックス」と呼んでいた。フルコース(シャンパン付き)の食事提供はもちろん、「最高級の西洋料理に加え、東洋の人気料理」も振る舞われた。
「お茶やカクテルの時間には、デラックスキャビンが空飛ぶ『茶屋』に早変わりする」と紹介されている。パンフレット(右下)で、「茶屋」と呼んだ機内の様子がわかる。
まっ先に目に入るのは着物姿の女性乗務員だろう。中央には三味線を演奏する乗客だろうか。制服の乗務員は男性客にオードブルを提供している。機内では日米のスナック、ワイン、ウイスキー、カクテルが提供されていたようだ。
元CAの証言「トイレで着替えて、便座の上で裾合わせをした」
筆者は、「スチュワーデス」としてJAL国際線に乗務していた福田和生さんに、着物について話を聞いた。1959年入社、DC-6Bにも乗務経験がある。
「(当時の客室乗務員は)普通の着物と全く変わらないものを着用していました。機内前方のトイレで着替え終わると、便座の上に立って鏡に写して裾合わせをしたものです」