ちなみに就航から2カ月後の4月1日より、「1等クラス」(ファーストクラスに相当)に、現在のエコノミークラスにあたる「ツーリストクラス」が加わり、2クラス制となる。国際線の初年には既に現在に近いクラス制が始まった。

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1959年2月1日発行のパンフレット。

着物姿で客室乗務員がおもてなし

JALの航空機は豪華客船「太平洋横断便」と名付けられ、一流のサービスをうたっていた。DC-6Bの就航に合わせて作成されたパンフレットによると、現在のファーストクラスは「菊サービスデラックス」と呼んでいた。フルコース(シャンパン付き)の食事提供はもちろん、「最高級の西洋料理に加え、東洋の人気料理」も振る舞われた。

「お茶やカクテルの時間には、デラックスキャビンが空飛ぶ『茶屋』に早変わりする」と紹介されている。パンフレット(右下)で、「茶屋」と呼んだ機内の様子がわかる。

まっ先に目に入るのは着物姿の女性乗務員だろう。中央には三味線を演奏する乗客だろうか。制服の乗務員は男性客にオードブルを提供している。機内では日米のスナック、ワイン、ウイスキー、カクテルが提供されていたようだ。

画像=筆者提供
DC-6Bの就航に合わせて作成されたパンフレット。「飛行中と途中降機地でのこれらのサービスは一切無料でございます。スチュワーデスその他の者への御心付けは固くご辞退申し上げます」と強調されている。

元CAの証言「トイレで着替えて、便座の上で裾合わせをした」

筆者は、「スチュワーデス」としてJAL国際線に乗務していた福田和生かずみさんに、着物について話を聞いた。1959年入社、DC-6Bにも乗務経験がある。

写真=福田さん提供
福田さんが同僚とDC-7Cの前で記念撮影した写真。

「(当時の客室乗務員は)普通の着物と全く変わらないものを着用していました。機内前方のトイレで着替え終わると、便座の上に立って鏡に写して裾合わせをしたものです」