途中降機のウェーキで優雅に朝食を
当時の航空機DC-6Bは4発のプロペラ機で、巡航速度が時速520km、航続距離が4100kmと短かく、直行便は飛ばせなかった。そのため東京から、燃料補給のためウェーキを経由する必要があった。
興味深いのは経由地のウェーキ島、ホノルルでのおもてなしだ。当時のパンフレット「ウェーク島ご案内」には、旅客に面倒な途中降機を少しでも快適に過ごしてもらおうと、細かなサービスが行われていたことが分かる。パンフレットを見てみよう。
「ウェーキ島(旧大鳥島)に着陸いたしますと直ちに皆様をバスで別図に示す食堂にご案内申し上げ、御朝食をさし上げることになっております。(中略)日中ならば素晴らしい写真もお撮りになることができ、よいご旅行の記念になるかと存じます。絵葉書、お手紙などを投函御希望の方は、日本航空乗務員までお申し出下さい。御食事後、食堂から再びターミナル・ビルへスチュアデスが御案内申し上げますから、出発までゆっくりご休息下さい。皆様、この約1時間半の滞在期間中、ウェーキ島の熱帯情緒を充分にお楽しみください」(ウェーク島御案内より、島名はママ表記しています)
なおホノルルでは、空港内のレストランで夕食が用意された。当時は旅の行程全体がサービスになっていた。
プロペラ機からジェット機へ…「日本風」の豪華な機内装飾
1958年2月12日からは、新たに4発プロペラ機の「DC-7C」が、羽田からホノルル経由でサンフランシスコに就航する。座席数57席は国際線仕様だ。前方のツーリストクラスで39席、後方のデラックスクラスに18席が設置された。この席は、6つのバースといわれる寝台に変身した。巡航速度は時速550km、航続距離は6500kmになる。
この機材は航続距離が長く、羽田を離陸するとホノルルまでを直行で結んだ。この頃に機内食をワゴンに乗せて提供する方式が始まり、機内でくつろぐための「法被コート」が乗客に配られた。