私が知っているイタリア人のおしゃれ

フィレンツェでの学生時代、地元の貴族の血を引く家柄の友人がいた。しかし、彼女も、そして彼女の母親も見た目は至極シンプルで、ブランド品どころか、イタリアのマダムの象徴ともいえる貴金属も殆ど身につけていない。乗っている車も年季の入ったポンコツのフィアットだったし、身につけているものに至ってはたいてい色の褪せたジーンズにシャツ、ブランド品でもなんでもないシンプルなスニーカーが定番だった。彼女たち親子は、要するに、内側から溢れるそこはかとない知性と気品だけで十分に優美だった。

ヤマザキマリ『扉の向う側』(マガジンハウス)

この親子が一度日本へ遊びに来た時、私の母に世話になったお礼としてエミリオ・プッチの華やかな柄の大判ストールを贈ったことがあった。それを見た母が思わず「まあ、こんなに素敵なスカーフ、私みたいな年寄りには勿体無い!」と感嘆の声を漏らすと、友人の母親は「違います。こういうものは私たちくらいの年齢になってからが映えるんです。勿体無いのは、こういうものを何もわかっていない若い人が持つことですよ」と言って微笑んだ。母はその夫人の言葉に痛く感銘を受け、高齢になってもずっとそのストールを愛用し続けていた。

私が知っているイタリア人のおしゃれとは、そういうものである。

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