※本稿は、ヤマザキマリ『扉の向う側』(マガジンハウス)の一部を再編集したものです。
イタリアと名の付く仕事であれば幅広く手がけていた
今から20年前、フィレンツェでの11年間に及ぶ生活にいったん終止符を打ち、2歳の息子を連れてふたりで日本に戻ったあと、大学でイタリア語を教えたり、テレビで旅のリポーターをしたり、とにかく自分にできそうな仕事でさえあれば何であろうと手がけていた時期がある。子供を自分ひとりの力で育てようと決めたからには、どんなことでも挑戦する意気込みでいたのだが、当時の日本は、イタリアの文化と言語を知っていることがあちらこちらで重宝する時期だった。イタリア語教室を立ち上げたこともあるし、マンションやレストランにつけるイタリア語の名前を選んだこともある。イタリアからペットボトルリサイクルの工場機器が導入されれば、それを作ったイタリア人エンジニアの通訳もした。
とにかくイタリアと名の付く仕事であれば幅広く手がけていたが、日々髪を振り乱しながら仕事と子育てに一心になっていた当時の私の有様といえば、一般の人が想像するようなイタリア帰り的雰囲気からはほど遠かった。
「イタリア関係の仕事をしている=赤いアルファロメオ」
当時私は友人から譲り受けた中古のカローラに乗っていたが、ある日、移動先へ行くのに知り合いを途中で拾うことになり、指定されたビルの正面玄関に車を寄せた。しかし、そこに佇んで通りを眺めている友人は目の前に停められた私の車を見ようともしない。窓を開けて名前を呼ぶとやっと、私に気がついて助手席に乗り込んで来たが、友人曰く、てっきり赤いアルファロメオでも迎えに来るものだと思い込んでいたという。
「勘弁してくださいよ、私が赤いアルファロメオなんて乗ると思いますか?」と問い質すと「でもイタリア帰りっていったら、普通はアルファロメオじゃないですか」と心外そうな顔をしている。「周りのイタリア好きは赤いアルファロメオっすよ、さすがにフェラーリは買えないから」と笑った。イタリア関係の仕事をしている=赤いアルファロメオ、服はアルマーニ、鞄はグッチ、靴はフェラガモというような表層的なイメージは、思っていたよりも根深く、そして幅広く日本で浸透していることに、私は激しく戸惑った。