手を強く強く握りしめて泣いていた

あるとき私はAさんに言った。

「Aさん、あなたはご自身のことを『何の役にも立っていない』と仰いましたが、それは本当でしょうか。私は今、あなたが大きな、非常に大きな役割を果たしたのを見ました。私は医者になって30年ですが、今あなたから数々の希望や心の中の葛藤、思いを聞くことができて、大いに考え、大いに悩み、その結果、大きな学びを得ることができたのです」

「“30年選手”ではありますが、まだまだ日々患者さんから学ぶことばかり。医者として、今日また新たな学びをAさんから得たのです。研修医も大きな学びをAさんからいただいているに違いありません。あなたは何の役にも立たないどころか、医者を教える先生として、今まさに“役に立っている”と私には思えるのですが、違うでしょうか」

横で聞いていた研修医も大きくうなずいている。するとAさんは、目にいっぱい涙をためて、私の手を強く強く握りしめると、何度も何度もうなずいたのだった。

家族は本人の「何の役にも立たないうえに家族に迷惑をかけたくない」という思いを受け止めつつ最期まで介護を続け、半月後、Aさんは住み慣れた家から“お父さんのところ”へと安らかに旅立った。

「生産性のない人は生きる価値がない」のか

Aさんは、家族に冷たく邪険にされたわけではない。もちろん「役立たず」と罵られたわけでもない。「早く死んでくれ」と言われ追い詰められたわけでもない。むしろ家族はAさんを思いやる温かい人たちだった。それでもAさんは家族に迷惑をかけまいと「役に立たない」自分の生涯を早く終わりにしてほしいと望んだのである。それは誰にも強いられたものではない。

だが今の日本社会には、「生産性のない人は生きる価値がない」であるとか「役に立たない人には早めに死んでいただこう」などといった言葉によって、ただでさえ生きづらい立場の人を追い詰めようとする人が存在する。

Aさんの話をまず紹介したのは、今大きな話題となっている関東大震災直後に起きた事件を題材にした映画『福田村事件』を観て、この今の不寛容な日本社会に通じるものがあると強く感じたからだ。震災からちょうど100年となる9月1日に封切りとなったこの作品は、千葉県で起きた「福田村事件」をもとにしたフィクションであると、監督の森達也氏は述べている。