朝鮮人と間違われた9人が惨殺された
「福田村事件」とは、震災5日後の1923年9月6日、香川県から「福田村」(現在の千葉県野田市)を訪れた薬売りの行商人9人が、朝鮮人と間違われて自警団を含む村人たちに惨殺された事件だ。いったい、なぜ「朝鮮人と間違われて」殺されることになったのか。それは震災直後に民衆たちに広まった流言飛語のせいである。
「朝鮮人が井戸に毒を入れた」
「日本人を殺そうと家屋に火をつけた」
こうした根拠なき「うわさ」が誰からともなく広がって、震災直後で混乱している民衆たちをパニックに陥れたのだ。さらに当時の政府がこのデマを否定するどころか戒厳令を敷いたことで、各地で自警団が組織され、軍人などとともに朝鮮人だけでなく、朝鮮人とされた人が虐殺されることになったのである。
その背景には震災から遡ること13年前の韓国併合があるといわれる。日本は朝鮮半島を統治下に置き、多くの朝鮮人労働者を過酷な条件で使用した。それに不満を抱いた朝鮮人が震災に乗じて、日本人に復讐してくるのではないかという「恐れ」が、当時の民衆の潜在意識のなかに「後ろめたさ」とともにあり、それがあまりにも残忍なヘイトクライムへとつながったのだ。
危険な“認識”は現代でも受け入れられている
「恐れ」と「不安」に突き動かされて、いとも簡単に凄惨な殺戮行為に走った人たち。彼らは当時においては極端に思想が偏っていたわけでもなく、ありふれた日常生活を営んでいる、むしろ“フツーの人たち”だったであろう。これが「福田村事件」ならびに震災後に発生した朝鮮人虐殺事件の恐ろしいところなのだ。
「ネタバレ」になるので詳述は避けるが、村人たちが行商人たちを取り囲んで、「こいつらは不逞朝鮮人に違いないから殺せ」と言うのにたいして、行商人の親方が「朝鮮人なら殺してもいいのか」と言い返すシーンがある。
この言葉にハッとさせられるのは、私ばかりではないだろう。
「間違えて日本人を殺してしまうのはマズいが、本物の朝鮮人と確認できれば殺してもいい」
行商人たちを「日本人であるか否か」という議論で揉める民衆の間では、その“認識”だけはすっかり共有されていた。これは非常に恐ろしいことだ。
しかし現在のわが国でも、これと同等の恐ろしい“認識”が躊躇なく語られたり、それほど強い抵抗感なく受け入れられていたりすることに、読者の皆さんは気づいておられるだろうか。じつは、このワンシーンと同じくらい恐ろしい言説に、いつのまにか私たちは囲まれているのだ。