無神論者当人すら無神論者に負のイメージを抱いている

もちろん、そんなわけはない。しかし、無神論者に対するまなざしは大変冷たい。アメリカでは、さまざまな宗教の信者と無神論者に対する感情温度が調査されている。感情温度とは、対象への親近感を最も冷たい0度から最も温かい100度までの温度で示したものだ。要するに、温かい気持ちを抱いているか、冷たい気持ちを抱いているかである。

ユダヤ教徒、カトリック教徒、主流派プロテスタント教徒といったマジョリティの宗教信者に対する気持ちは平均して温かく、60度を超える。仏教徒(57度)やヒンドゥー教徒(55度)がそれに続く。一方、無神論者はイスラム教徒と同じ49度で最下位だ。

知人友人にその宗教の信者がいれば、親近感は多少増す。イスラム教徒の場合、知り合いにいれば53度に上昇するが、無神論者の場合、知り合いにいても51度だ。さらに、知り合いがいないと38度まで低下し、単独最下位なのである。

要するに、「無神論者は不道徳で何をしでかすかわからない」という偏見があるのだ。連続殺人や動物虐待といった凶悪犯罪の犯人は直感的に無神論者だと思われてしまう。13カ国を対象とした調査があるが、宗教の影響力が強い国(UAEやインド)、宗教が規制される国(中国など)、宗教離れが進む国(オランダなど)の大半に、こうした偏見があることが分かっている(Gervais, W., Xygalatas, D., McKay, R. et al. “Global Evidence of Extreme Intuitive Moral Prejudice against Atheists”, Nature Human Behavior, 1, 2017.)

さらにすごいことに、この調査によれば、自分自身が無神論者である回答者でさえ、無神論者に同様の偏見を抱いているという。神を否定し、聖書のような倫理道徳の指針を持たない無神論者は何をしでかすかわからない――そうした負のイメージは根強く広がっているのである。

「宗教信者よりもはるかにまともで賢い」新無神論者の反撃

信仰を重視しない日本の宗教文化では「無神論者」はそこまで強い意味を持たないし、実際、日常的に使う言葉ではない。一方、キリスト教の文脈でも滅多に使われる言葉ではないが、それはあまりに否定的なイメージが強いからだ。無神論者は善悪の観念や共感能力を持たないサイコパスのように想像される。

しかし、こうした状況を変えようとする動きもある。「無神論者にも倫理道徳はあるし、なんなら宗教信者よりもはるかにまともだ。無神論者こそが賢く、世界を正しく認識している」。そう主張し始めたのが、新無神論者と呼ばれる人々だ。そのリーダーがリチャード・ドーキンス(1941年〜)である。オックスフォード大学で長年教鞭をとった進化生物学者だ。彼の著書『神は妄想である 宗教との決別』(早川書房/2007年)は世界的ベストセラーになった。