「信仰・実践・所属」の3要素から現代宗教をとらえる

実際のところ、初詣となれば、全国で数千万人が正月に寺社を訪れる。葬儀といえば、相変わらず仏式が圧倒的な人気だ。2010年代以降は、パワースポットめぐりとして寺社参拝がより身近になった。お彼岸に墓参りをする人も多いだろう。結婚式の挙式の形態では人前式が神道式を上回るが、最も多いのは教会式(キリスト教式)で全体の6〜7割を占める。ちなみに、日本のキリスト教徒の割合は1%程度で超少数派である。無神論的というより、宗教混淆的といったほうが正確ではないだろうか。

筆者は、現代宗教をとらえるには宗教を信仰・実践・所属の3要素に分解する視点が有効だと考えている。宗教は世界中に無数にある。天理教もカトリックもゾロアスター教も宗教と呼ばれるが、内実は大きく異なる。カーリングもラグビーも同じスポーツに分類されるが、両者が根本的に異なるのと同じだ。スポーツというカテゴリーには、フィジカル重視、芸術性重視、技巧重視などさまざまな競技が含まれる。それと同じように、宗教というカテゴリーにも、信仰重視、実践重視、所属重視のものがある(『宗教と日本人 葬式仏教からスピリチュアル文化まで』参照)。

日本の宗教文化では圧倒的に信仰よりも実践重視

この枠組みからいえば、日本の仏教や神道は圧倒的に実践重視だ。初詣や受験前の参拝客で、祭神に関わる由緒や教学に通じる人はほとんどいない。自分の家が代々曹洞宗寺院の檀家だんかだとして、『正法眼蔵』やそのエッセンスをまとめた『修証義』に日常的に親しんでいる人がどれほどいるだろうか。恐らく『修証義』の名前も知らない人が多いはずだ。

これが日本の宗教文化の大きな特徴である。教義や教典のような信仰要素は、一般の信者にとってそれほど重要ではない。信じていなくても初詣や葬儀を実践する。あるいは、信仰と実践がリンクしていないといってもよい。だから結婚式だけは教会でも矛盾を感じない。信仰よりも実践が重視される傾向が強いのだ。つまり、信者(believer)という言葉が、そもそも日本の宗教文化に当てはまりにくいのである。

だからこそ、日本は無神論者率ランキングで最上位グループに入る。こうした調査では「信仰を持っているかどうか」、つまり神仏のような超越的存在の実在を信じ、それをめぐる信念を持っているかどうかを尋ねる。信仰の有無を訊かれれば、多くの日本人は否定するしかない。しかし地獄や浄土の存在を確信していなくても先祖供養は続けるし、幽霊の実在を信じていなくても事故物件は避けるし、なんなら動物の供養もするのである。

上野動物園の動物慰霊碑
筆者撮影
上野動物園の動物慰霊碑。最初は1931年に建立され、当初は実際に動物たちを碑の周りに埋葬していた。