「さん付け」で呼ぶことがプレッシャー
「さん付け」に関する話をいろいろ読んでいて面白かったのは、新入社員にとっては偉い人を「さん付け」で呼ぶこと自体がプレッシャーで、「やっと呼べた」とホッとしているような声もあったことです。
もともと、自由な雰囲気をつくろうとしているのに、それがプレッシャーになるというのもちょっと不思議な気がします。
風通しはよくなるのか
そして、「さん付け」に関する話題の中でよく聞かれるのが「風通しをよくする」という言葉です。しかし、この言葉もちょっと曲者だと思います。
大学生など社会に出る前の人は、このような表現をあまりしないのではないでしょうか。私は三〇歳になる頃に上司の言葉として聞いたのですが、いま一つ意味がわかりませんでした。
最近でもよく使われていますが、ほとんどの場合言い出すのは中高年の管理職です。「もっと風通しをよくしよう」というからには、現状が「風通しが悪い」ということでしょう。ただしあくまでも比喩ですから、オフィスの換気をしたいわけではありません。なんというか中高年社員特有のテクニカルタームのような気もします。
特に定義はないのですが、上下の分け隔てなくものが言い合えるフラットな職場、ということになるのでしょうか。たしかに「さん付け」が目指すものと一致するようです。
しかし、人によっては「じゃあ、みんなで飲み会でもしようか」ということになったりします。それで風通しがよくなるかといえば、むしろ逆になることも多いのではないでしょうか。職場の人間関係をそのまま持ち込んだような宴席に「風通し」が期待できるようには思えません。
「さん付け」をルール化するというのも、それに似たところはないでしょうか? もっと自由にするために、新しい規則を導入するというのは矛盾しているようにも思うのです。