日本語には「ちょっと」「的に」「とか」など、断定を避けてぼやかす表現が数多くある。なぜ日本人はこうした曖昧な言葉を使いたがるのか。お笑い芸人・ふかわりょうさんと言語学者・川添愛さんの共著『日本語界隈』(ポプラ社)より、2人の対談を紹介する――。
木製のブロック上の幸せと怒りの顔
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肯定か否定かわからない「大丈夫」

【ふかわ】曖昧好きの代表例として、「大丈夫」問題も話しておかなければなりませんね。否定なのか肯定なのかわからない。日本語を学ぶ外国の方は相当、苦労しているだろうなと思います。だって、意味わからないですよね。「OK」も「No thank you」も「大丈夫」なんですから。もう、無理ゲーですよ。

【川添】そうですね。そもそも日本語には文字が三種類あって、漢字にはさらに音読み、訓読みがあって、それだけでもかなり難易度が高い。そのうえ、雰囲気で判断しなければならない言葉が多すぎますよね。「ちょっと」とか。

【ふかわ】ああ、「ちょっと」! これも、いろんな「ちょっと」がありますね。

【川添】「ちょっと、ひと休みする」みたいな「少し」の意味合いもあれば、「それはちょと……」みたいな拒絶の意味合いもありますよね。これは実際に論文で報告されていた事例なのですが(※)、外国の方が日本で仕事の面接を受けたときに、会社側の人が「採用はちょっと難しいですね」と言ったそうなんです。

これはもちろん「不採用です」という意味なんですが、その外国の方は「少し難しい」という意味だと解釈して、「それなら、もう少し頑張れば採用してもらえる」と思ってしまったそうなんです。

※岡本佐智子、斎藤シゲミ(2004)「日本語副詞『ちょっと』における多義性の機能」、『北海道文教大学論集』(5)、65~76。

はっきり「ノー」と言いたくない

【ふかわ】それって、言葉は「ちょっと」ですけど、かなりの違いですよね。「大丈夫」も同様に、対極の意味がある。それを使いこなしている日本人ってすごい!

【川添】そうですね。もっとも、日本人同士でも誤解を生むことはありますけどね。

【ふかわ】そうでしょうね。でも「ノーサンキュー」の意思を伝えるのに「大丈夫」を使うのって、「ノー」をあからさまに言いたくないからですよね。愛想笑いと一緒で、否定をコーティングしている。それは、日本人は群れの中で「嫌われたくない」という思いが強いからでしょうか。傷つけたくない、悪者になりたくないという。