真っ向勝負を避ける平和主義の日本人
【ふかわ】曖昧グループには「~的には」というのもありますね。「私的には」とか。「私は」でいいはずなのに、「的には」をつけて、ちょっとぼやかす。あと「あちらのほうで~」という「ほう」。これもちょいちょい薄めて、希釈の役割を務めている。日本人は割るのが上手ですよね。バーテンダー並の割り上手。
【川添】ロックでは勝負しない感じですか(笑)。
【ふかわ】そう! まさに、真っ向勝負を避けている気がします! 戦いたくないんですよ。よく言えば、平和主義。これも国民性ですかね。
【川添】ぼやかす機能をもった言葉には「とか」なんかもありますね。コーヒーを飲むと決めているのに、「コーヒーとか飲む」と言ったり。東京にしか行っていないのに、「東京とか行ってきた」と言ったり。
【ふかわ】接客関係で耳にしがちだから、こういう言葉がなんとなく丁寧に聞こえたり、肌触りが優しい印象になったりすることすらあるんですけど。本来、そういう役目はないですよね? ぼやかすことによって、圧を弱めようとしているんでしょうか?
【川添】そうですね、これも目上の人の前で自分の意見を堂々と言うことが憚られた時代の名残のような気がします。
【ふかわ】どこかで薄めたがる習性が残ってしまっているんですね。
【川添】そうなんでしょうね。
お金の話をオブラートに包む「ギャラ感」
【ふかわ】ついさっきなんですけど、誰かのマネジャーが電話で話しているのが聞こえてきて。そのなかで、私の網に引っかかった表現がありまして。
【川添】どういった表現だったんですか?
【ふかわ】「それでギャラ感なんですけど」(笑)
【川添】ギャラ感!(笑)
【ふかわ】もう、早く報告したかったです。
【川添】いいのが釣れましたね。
【ふかわ】ピチピチしてました(笑)。「~感」。「透け感」とかっていうのも時々耳にしますが。「ギャラ感」って。誰が言い出したのかわからないですけど、おそらく最近ですよね。「ギャラはどうでしょうか?」と言うのは、たとえ芸能プロダクションのマネジャーでも憚られるんでしょうか。オブラートとしての「感」。きっと響きもいいんでしょうね。
【川添】たしかに、響きの面でも、「ギャラ感」は新しいですね。