語感のいい言葉を広げていく人間の営み

【ふかわ】お金関係だと最近、「予算感」というのも聞くんですよ。ここにも薄め上手がいましたね。

【川添】「感」を動詞につけるのは最近、耳にしますけどね。「やってる感」とか「言ってる感」とか。

【ふかわ】ありますねー。ギャラ感、予算感はこれまでなら「ギャラのほうは~」と「ほう」を使っていたんでしょうけど。音として「感」がチョイスされやすい気がします。もうじき、「ギャラみは?」って言うマネジャーが登場するかもしれません。

言葉って耳から入って口から出るから、入ってくるときに心地のいいものが残っていく気がするんです。入ってきたときは「透け感」だったとして。よく耳にしているうちに、そこから「感」だけを取り出して、他につける。これも「アタッチメント」でしょうか。無意識だと思うんですけど、そういう人間の営みはおもしろいですよね。

【川添】そうですね。他の人が語感のいい言葉を言っているのを見ると、自分も言いたくなりますよね。ついつい真似しちゃう。

【ふかわ】「真似したくなる」というのは、やはり音がよかったり、時代との相性がよかったりということなんでしょう。今は「感」が必要とされる時代。ファションの流行と同じですね。

「普通におもしろい」は喜んでいい?

【川添】人にお年玉とかお金を渡すときに、そのまま渡すのって憚られるじゃないですか。大阪の人だと「裸でごめんね」なんて言って渡しますよね。「感」はそういうときの、封筒とかポチ袋的な感覚ですよね。

【ふかわ】ポジティブにとらえればそうですね。そういう役割もあるんでしょう。言いづらいことをあの手この手で薄める、曖昧表現は日本のお家芸でしょうね。「しっとり感」と言って、「しっとりしている」と言わずにいるのは、しっとり専門家じゃないという謙遜か、単に言いやすいだけなのか。スタンダードになれたのは時代に求められたから

【ふかわ】あと、これも時代に求められているんですかね。ずっと気になっているのが「普通に」。

【川添】ああ、ありますねー。

【ふかわ】「普通」という言葉も奥行きがあって、研究対象になり得るんです。まあ「普通なんてものはない」という人もいますけど。「普通においしい」とか言うでしょう、最近。引っかかりませんでしたか?

【川添】引っかかりますね。自分の書いた本に「普通におもしろかった」っていう感想をもらうと、微妙な気持ちになっちゃいます。