財産がない人のほうが幸せな場合もある

若い頃から、家族のため、会社のため、と身を粉にして働いてきたけれども、貯金はまるでない、という人がいます。年金だけでは足りないので、生活保護を受けて特別養護老人ホームに入居している人もいます。こうした人は、世間からは不幸に見えるかもしれません。

しかし、本人は違う見方をしているかもしれないのです。

毎日、おかずが3品もある食事をなんの苦労もなく食べられて、スタッフもまめに世話をして優しく声をかけてくれる。このことに、「この歳になって、こんなによくしてもらって、私はなんて幸せなのだろう」と思うこともできるのです。

多くの人は、「老後の資金は足りるだろうか」と不安を抱えています。人間、お金さえあればなんでも手に入る。引退後も貯金がたっぷりあればあるほど、悠々自適な老後を暮らせる……。そう思っている人は多いものです。

しかし、「お金持ち=老後は幸せ」とは限らず、むしろ、財産がない人のほうが幸せを感じやすいことがあります。私はこの現象を、「金持ちパラドックス」と呼んでいます。実際、少ない年金をやりくりしながら、気ままな老後を謳歌している高年者は多いものです。そうした人は、現役時代から参照点が低いというのも事実です。

大事なのは「幸せを見つける方法」を知ること

大事なのは、お金があってもなくても、幸せを見つける方法を知ることです。その一つが、過去の自分に参照点を置くのではなく、今の自分に見合ったところに参照点を置くこと。

くり返しになりますが、参照点は低いほうが幸福度は高まります。そもそも、高年者は人生経験が豊かなので、たくさんの選択肢を持っています。判断の基準もたくさん持っているはずなので、自由に参照点を決められるのです。

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それなのに、参照点をわざわざ高いところに設定して、人や社会に不満を抱えながら生きることほど、もったいないことはありません。昨日までの生き方を、今日からひっくり返したっていい。変化を自由に楽しめるのも、成熟した高年者の強みです。

通常、「心」という言葉に対してイメージされるのは、「喜怒哀楽」の感情です。高年になると、前頭葉の働きが低下することで、どうしても感情的になりやすい一面が現れます。「感情失禁」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

たとえば、テレビを見ていて、特別に悲しいシーンでもないのに突然、ポロポロと泣き出してしまう高年者がいます。あの状態が、感情失禁の一例です。また、ささいなことでカッとしたり、見ていて「そんなに怒らなくても」と思うほど激怒したりするのも、感情失禁の状態です。