「あのこわっぱに名をあげさせてしまった」

孫臏は、龐涓が夕暮れには馬陵ばりょうまで来るはずと読んでいた。馬陵は道が狭いうえに、道の両側に険阻なところが多く、伏兵を置くには都合がいい。そこで大木の幹を白く削って、そこに次の文字を書かせた。「龐涓はこの木の下で死ぬ」。孫臏はの達者な者1万人を選び、道の両脇にひそませ、「日が暮れてここに松明の灯が見えたらいっせいに発射せよ」との命令を下した。

島崎晋『いっきに読める史記』(PHP文庫)

果たして龐涓は夜になって馬陵にさしかかった。白い木の肌に何やら字が見える。どれどれと松明で照らさせ、字が鮮明に見えたとき、1万の弩がいっせいに発射され、魏の軍勢は大混乱に陥った。矢で射られる者もいれば、同士討ちで倒れる者もいる。

大敗したことを悟った龐涓は、「あのこわっぱに名をあげさせてしまった」と言い残し、みずから首をはねて命を絶った。斉の軍は勢いにのって魏の歩兵にも襲いかかり、太子のしんを捕虜にするなど、ここでも大勝利を博した。この戦いのあと、韓・趙・魏の三国は博望はくぼうの地で宣王に謁見し、誓いをたてて協約を結んだ。

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