能力が高すぎて龐涓に陥れられた
ところで、ここに名のあがった孫臏について少し説明しておこう。孫臏は春秋時代の呉の将軍孫武の末裔で、同じ師のもとで、龐涓と机を並べていたことがある。
龐涓は魏の恵王に仕え、将軍になっていた。龐涓は嫉妬深い性格で、自分の能力は孫臏に及ばないと自覚していた。そこで、ひそかに人をやって孫臏を呼び寄せておいて、いざ孫臏がやってくると、罪を着せた。両足を切断したうえ、顔に入れ墨をして、人前に出られないようにしたのである。
ときに斉の国の使者が魏の都へやってきた。その使者が孫臏のことを知っており、ひそかに連絡をとったうえで、自分の車に隠して斉へ連れ帰った。孫臏は将軍の田忌に気に入られ、その食客となった。
「競馬の必勝法」で兵法の師に上り詰めた
ある日、田忌は公子たちと競馬を楽しんだ。孫臏はそれぞれの用意した馬の脚力に大差はないが、上・中・下の3級に分かれるのを見てとり、田忌に進言をした。
「どうか大きな賭けをなさいませ。必ず勝てるよう、わたくしが工夫をしましょう」
田忌は孫臏を信じて、千金をかけて勝負をすることにした。いよいよ馬場へ出たとき、孫臏は言った。
「あなた様の下の馬で相手の上の馬と競争をさせ、上の馬は中の馬と、中の馬は下の馬と競争をさせるようなさいませ」
果たして結果は2勝1敗で、田忌は首尾よく大金を手にすることができた。孫臏の能力を知った田忌は、彼を威王に推薦した。威王もまた孫臏を気に入り、兵法について師と仰ぐようになった。