「私は目が見えなくても絵を描く」
72歳の時には両目が白内障となり、82歳の時、右目はほとんど見えなくなった。左目の視力もわずかとなった時、モネは「ベートーヴェンが耳が聞こえないのに音楽を作曲したように、私は目が見えなくても絵を描く」と語ったという。
モネは、作品が「溶けたアイスクリーム」と批判されても生涯、同じスタイルで描き続けた。巨大なキャンバスには中心がなく、始まりも終わりもない。しかし、リアルな空気が伝わってくる。写実では伝わらないものを伝える、インスタレーション的絵画のはじまりだ。モネの作品は、美術が近代から現代へと移行する時代に、絵画を「意味」から「体験」へと変化させていく橋渡し役となったのだ。
モネは、奇妙な大家族のために作品を量産することで成功した。こうして多くのファンを魅了し、歴史に名を刻むことができたのだった。