戦後になって、たまたま法政大学の図書館で働くことになったけど、そこで本の出納係をしていたら、図書館担当の教授と仲良くなってね。本の出し入れは要領よくやっていたから、頭のいい奴だと思ったのと違うかな。あるとき、学生と勘違いして「君、何科に行ってるの?」と聞くんだよ。
とっさには何のことだかわからなくて、「図書科です」と答えたら「いや、それはわかってる。学科はどこかということだよ」。落語みたいな問答になっちゃった(笑)。
ここで働いているだけなんです、と説明すると、
「もったいないなあ。じゃあ、大学へ入んなさいよ」
今度は、法政に入学しろと勧めてくれたんだ。あの大学には夜学があったし、図書館で働いている仲間には学生アルバイトも多かったからね。僕もその気になっちゃって、戦時中に通っていた慶應の商業学校から成績証明書を取り寄せてみたんだよ。
そうしたら、落第したこととか、品行方正じゃないことがしっかりと書いてあるじゃない。これじゃあ入学できないなあ、と思ってね。願書を出すのはやめにしたんだ。
でも、そのころにはもう、職場の同僚なんかに「来年からは、あんたたちと同じで学校へ行くよ」と言いふらしていたからね。勧めてくれた教授にも同僚にも、顔を合わせにくくなっちゃった。ちょっと意味は違うけど、「口は災いのもとだ」と思ったなあ(笑)。
これは逃げちゃうことが一番いいと考えて、何も言わないまま図書館にも行かなくなった。つまり、職場放棄をしたんだよ。
当時は親と一緒に住んでいたんだけど、辞めたことを言い出せなくてね。長いこと、勤めに出ているふりを続けていたんだ。朝になると家を出て、夕方帰ってくる。最初のころは電車に乗っていたけど、そのうちにお金が尽きちゃった。
そうなるともう、歩くしかないの。東京の三鷹にあった家から、大学のある市谷を通って、月島のあたりまでとことこ歩く。三鷹へ帰るころには夕方の5時になっている。毎日毎日、そうやって東京中をうろうろ歩きまわっていたんだ。