人生って、おもしろいよ。それが分かれ目になったんだから。

あのまま図々しく試験を受けて、大学に入っていたらどうだろう。大学の職員を続けていたらどうだろう?

いまごろ僕は、ここ(比叡山)にはいないよね。

あのときは、職場から逃げ出して、どうにもしょうがなくて東京中を歩きまわっていたんだよ。それから20年くらい経って、たどり着いたのが比叡山なんだ。

坊さんになって、言われることを何でも「そうですか」「わかりました」って素直に聞いていたら、いつの間にか行の道に入っちゃった。結局、千日回峰行(比叡山中を延べ4万キロ歩き通す天台宗の荒行、酒井師はこれを二度も満行している)をやることになるでしょう。若いころ職場放棄をして東京中を歩いたことが、千日回峰行につながっているんだよ。

「いい職場なのに、どうして自分の勝手なつもりで辞めたんだ?」

「もったいないじゃないか」

当時はいろいろと言われたよ。人から見たら失敗だろうね。でも、僕はそうは思わなかったな。

あのまま学校にいたら格好が悪いから逃げちゃった。でもそのあとは、なんとか親に見つからない方法はないかなあと考えて、歩いていただけ。「辞めて失敗したな」とは思わないんだ。

そもそも「学生になる」なんて言いふらして、引っ込みがつかなくなったから困っていたわけでしょう。辞めたら逆に、気持ちが軽くなったんだな。

歩いていると、頭の中は空っぽになるんだ。千日回峰行のときも、山道を毎日何十キロも歩くのは大変でしょうって言われるけれど、山を歩いているときは自由なんだよ。ほんとに全部解放されちゃってね。

疲れたらそこらへ腰掛けて一服できる。こんなことをしたら格好悪いとか考えずに、なんでもできる。自分ひとりでやっているから、人に気を使わなくていいんだよ。山から文句を言われるわけはないからね(笑)。

だから案外と、うちへ帰ってきているときよりも、歩いているときのほうが気は楽だったんだ。うちへ帰ってくると信者さんが訪ねてきたりして、けっこう気を使うでしょう。1日に40キロ歩くというのは数字を見るから大変に思うけれど、気持ちのうえからは楽なんだ。

だから仕事で失敗したとか会社を辞めたときには、部屋にこもっていないで、歩くといいんじゃないのかな。やっぱり何でも前向きに進んでいくということを考えないとね。