結論から言うと、劣等感があればしめたものだ。

劣等感を持たない人間はいない。そして、劣等感を持たないようにすることは不可能である。学校で一番足の速い人は、市で一番速い人に対して劣等感を持つだろう。市で一番足の速い人は、県で一番足の速い人に対して劣等感を持つに違いない。

よく「劣等感をバネにがんばる」と言うように、劣等感がさらなる向上のための強い動機になることも確かである。しかし必死で努力し、世界一足の速い人になったとしても、足の速さにおいてはチーターの足元にも及ばないのである。劣等感が完全に消えてなくなることはありえないのだ。

劣等感とは、ある能力において自分が他者に比べ劣っていると認識することから生まれる感情である。しかし、人の欠点には、本当にネガティブな側面しかないのだろうか。

「うまく話せなくて悩んでいるんです」と相談されたことがある。そのとき「口下手は大事にしたほうがいい」とアドバイスをした覚えがある。

わたし自身も口下手だ。学生による授業評価で「“あー”や“うー”が多すぎる」と書かれたことは枚挙にいとまがないし、学生に用事があって留守電を入れたとき、自分では立て板に水で話したつもりが、後で学生に「10秒間のメッセージに“あー”“うー”が6回入ってました」と言われた。

しかし考えてみると、多くの場合、流暢に話す人より口下手な人のほうが好感を持たれるのではないか。わたしの前に来て口ごもったり、緊張したりしている人を見ると「この人はわたしを緊張すべき相手、畏れるべき相手と認識してくれているのだ」と感じ、悪い気はしない。逆に、初対面だというのに立て板に水のごとくしゃべられると、「こいつはわたしを軽んじているのではないか」「何か売りつけられるんじゃないか」などと思ってしまう。