再婚を果たす

ダイアナの死後、チャールズはウィリアムとヘンリーにカミラを紹介した。これで陰に隠れた関係ではなくなった。ヘンリーの回顧録によると、兄弟は彼女を受け入れたが、再婚しないよう父に頼んだという。

結局チャールズとカミラは05年に結婚するのだが、普通なら王室のカップルには必要でない手順を踏む必要があった。当時のカンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズは、教会での挙式を許さなかった。死別以外の理由で別れた者の再婚式に教会は使わせない。それが国教会の伝統だったからだ。

そこでチャールズとカミラは、ウィンザー城内のギルドホールで民事婚を挙げた。エリザベス女王は教会での結婚式にしか出席しないという個人的な信念から参加を拒んだ。それでも挙式後、城内のセントジョージ礼拝堂での祝福礼拝には参列し、祝辞を述べている。

しかし王室におけるカミラの地位については議論が続いた。伝統的にプリンス・オブ・ウェールズ(皇太子)の妻が持つプリンセス・オブ・ウェールズ(皇太子妃)という称号を引き継ぐことはできなかった。また当時の王室は、チャールズが国王になってもカミラに「王妃」の称号は使わせない方針だった。

「王妃」の称号を確保

チャールズはカミラの称号問題を諦め切れなかった。そしてエリザベス女王も、ついに折れた。

昨年2月、健康問題を抱えながら在位70年の年を迎えた女王は王室の将来について声明を発した。「国民の皆さんから今なお頂く忠誠心と愛情に、いつまでも感謝と謙虚な思いを持ち続けている」

「やがて私の時が満ち、息子チャールズが国王となる日に、皆さんはチャールズと妻カミラのことを、私と同じように支えてくださるだろう。その日が来たら、カミラが忠実に務めを果たせるよう、王妃として知られることを私は心から願う」

母なる女王の死

王位継承順位第1位の男として70年を過ごした後、チャールズは昨年9月8日に母の死をみとり、ようやく王座に就いた。

即位の翌日、国家元首として初の演説で彼は言った。「エリザベス女王の人生は素晴らしかった。運命を引き受けるという約束を守り通し、死して誰よりも深く悼まれた。生ある限り尽くすという母の約束を、いま私は新たにする」

当記事は「ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)からの転載記事です。元記事はこちら
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