一見ストイックな生き方は、実は常に他人を思いやる心から生まれていた。編集者・記者として、さらに養女として20年間を共に過ごした斎藤明美さんが、2024年の今年、生誕100年となる大女優の生き方を綴る。

電話をかけることは、相手の「時間を奪う」こと

これは確か、高峰が82歳のときに言った言葉である。

ある午後、彼女がふと言った、「安野先生お元気かしら……」。「安野先生」とは先般他界された安野光雅画伯のことである。氏は昔から高峰の大ファンで彼女の著書の装丁は必ず手掛けてくれた。高峰もまた深く敬愛していた、旧知の間柄である。

黒電話
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私は言った、
「電話してみれば?」。
「いいえ。あんな忙しい方に電話なんかしちゃいけません」
「でもかあちゃん(高峰)からの電話なら、先生喜ぶと思うよ」
「いいえ、電話はしません」

そしてきっぱりと言った、

「他人の時間を奪うことは罪悪です」

私は胸を突かれる思いがした。電話をかけることが相手の「時間を奪う」ことだと考える人がどれだけいるだろう。高峰が自分から電話をかけていたのは、運転手さんとマッサージ師さんの予約をするだときだけで、ほかには見たことがない。かけてこられるのも嫌いだった。だから特段の用もなく「お元気?」だの「お茶でもどう?」などという電話はおろか、口にすることもなかった。

高峰秀子
高峰秀子
1924年生まれ。5歳でデビュー。「子役は大成しない」のジンクスを破り大女優へ。代表作に『二十四の瞳』『浮雲』など。映画賞受賞数は日本映画界最多。随筆に『わたしの渡世日記』など。2010年永眠。夫は脚本家・松山善三。養女は文筆家・斎藤明美。

とにかく時間を大切にした。もちろん時間厳守。

同じ安野画伯に関することで、高峰が編集者にひどく怒ったことがある。その編集者は自社からタクシーで安野氏を迎えに行き、その足で高峰をピックアップすることになっていた。普段なら出版社から氏のアトリエまで車で15分くらいなので、彼もそのつもりで会社を出たのだろう。ところがその日は大変な渋滞で、氏と約束した時間に40分遅れた。

「何があるかわからないんです。早すぎて困ることはないんだから、外で待っていればいい。それを、あのお忙しい先生を40分も待たせるなんて!」

自分も40分以上待たされたことには触れず、安野氏への対応に立腹した。

愛車の運転手さんには指示していた、

「霊柩車のごとくゆるゆると走ってください。その代わり、渋滞があっても途中でパンクしても約束の時間に遅れないように、私たちは早くうちを出るようにしますから」