「今なら仏教とビジネスの融合ができるかもしれない」
その実、寺の境内に宿泊施設がある事例は、少なくない。たとえば、高野山や信州善光寺などの「宿坊」は一般旅行者も宿泊が可能だ。昔は、宿坊然として居心地がよいものではなかったが、現在は誰でも快適に過ごせる上質な空間と、ホスピタリティを提供しているところも少なくない。
京都の浄土宗総本山知恩院は、祇園や円山公園からも近い宿坊の和順会館を、近年リニューアルした。「シティホテルと比べても遜色ないグレードで、割安感がある」と評判だ。
こうした寺が直営する「宿坊」に対し、浄教寺の場合は寺が「大家」になってホテルを誘致した点が大きく異なる。さらに、浄教寺が画期的なのは「寺院の再生」を目的として、ホテルと一体型の施設をつくりあげたことだ。
そもそも、光山氏は浄教寺の生まれでもなければ、京都人でもない。東京都文京区小石川にある浄土宗寺院の出身だ。大学卒業後、日本長期信用銀行(現SBI新生銀行)に入行した銀行員であり、浄教寺継承の話が舞い込んできた2014年当時も別の金融機関に籍を移していたが、一貫して法人融資業務に従事していた。
「浄教寺の先代が、父の従兄弟という関係でした。浄教寺には子どもの頃、しばしば遊びにきていてなじみはありました。先代には後継がおらず、親戚中を見渡したら、継承できそうな人間が私しかいなかったというわけです」
しかし、当時の木造本堂は築200年が経過し、荒廃していた。このままでは、近い将来の「崩壊」は目に見えていた。一般的な寺の改修には、時に億単位の資金が必要になる。前回の改修は90年も前のこと。雨漏りもひどく、耐震上も大きな問題を抱えていた。建て替えは不可避であった。
だが、浄教寺は、檀家数は100軒にも満たない骨山(裕福な寺院を「肉山」と呼び、貧しい寺院を「骨山」という)。一般的に京都の寺は、檀家300軒が経済的に自立できるラインとされる。改修や建て替えを檀家に提案したところで、到底、寄付は集まるわけがない。
「一度は、住職就任の話を断りました。ですが、京都のど真ん中という恵まれた環境にあって、継承の話が出た2014年当時は、まだ京都ではホテルが足りていなかった。銀行員としての経験を活かし、今なら仏教とビジネスとの融合ができるかもしれないと思い、よし、やってやろうと思い直しました」